【連載小説】あなたと、ワルシャワでみる夢は #10
Nowy Świat(ノヴェ・シフィアト)通りを下り、コペルニクスの像がある広場を過ぎる。広場ではカップルや小さな子ども連れの若い夫婦が和やかに過ごしていた。
やがて左に折れOrdynacka(オルディナツカ)通りという細い通りを入っていき、暫く進むと右手からピアノの音色が流れてくる。
「ショパン音楽アカデミー、音大だよ」
軽く振り向いた遼太郎が教えてくれた。
「ピアノの詩人の本場だからな。世界中から精鋭が集まってることだろうな」
「ショパンの音大…」
「本当はお前も目指したかったんだろう? 聞いたぞ」
「聞いたって…?」
「…お前の母親からだよ」
「母さんと…そんな話までしているの?」
「今回の件でほんの少しだよ。それより正面だ」
遼太郎の指す方を見ると、真新しく見えるこじんまりとした白亜の城が見えてきた。それがショパン博物館だという。
城の手前の階段を降りると入口があり、自動ドアを入ると係員が立っている。
遼太郎が係員に何かを見せると中に入ることを促された。そこでIDカードを受け取る。入場が1時間毎に制限されているため、遼太郎は事前にネットで予約してくれていたのだった。
「ここはちょっと変わっていて、結構ハイテクな博物館なんだ」
ラックから好きな楽譜を取り出し譜面台のような場所に置くと、眼の前のピアノからその楽譜のメロディが流れ出したり、
受け取ったIDカードをかざすと曲や曲の解説が流れたりと、確かにハイテクな一面と、ショパン直筆の楽譜や手紙(ポーランド語で書かれている)、
そして実際にショパンが弾いていたという、ブラウンのボディのグランドピアノが展示されていたりする。
「へぇ…これ…本物? すげぇな…」
稜央はいちいち感動しているようで、そんな様子を見て遼太郎も安心した。
階下へ降りると、薄暗いが広いスペースにテーブルがいくつか置かれ、そのテーブル毎に横の壁には「SCHERZOS」や「SONATAS」など書かれている。壁にはヘッドフォン。どうやら作品カテゴリで分かれているようだ。
「お前はショパンではどの曲が好きなんだ?」
「俺は…結構スケルツォとか…」
「スケルツォ…知らないな」
「ショパン以外でも、割とはっきりと激しく打鍵するような曲が好きなんだ。もちろんそれだけじゃないけど。逆に父さんはどの曲が好きなの?」
「俺は本当に有名なのしから知らないから…お前が弾いていたポロネーズ…あれは本当にいいよな。さっきも言ったけど、英雄の優雅さと高揚感がよく出ているなって思うよ」
「じゃ、あそこだ」
そう言って稜央は「POLONAISE」の表記があるテーブルについた。2人で並んで座りヘッドフォンをはめる。
向こう側のテーブルではブロンドの髪を後ろで1本に縛り、メガネを掛けた女子学生が目を閉じて、まるで大舞台で弾くピアニストのように、恍惚の表情で両手を大きく動かしていた。
その様子を見て2人はクスっと笑った。
「彼女は今、大観客の前で弾いているんだろうな」
「うん、本当にすごいピアニストかもしれないよ」
するとヘッドフォンから流れてきたポロネーズで、稜央もマネをした。遼太郎は声を噛み殺して笑い、稜央の脇腹を突いた。
あまりにもはしゃぐ大の男2人に、背後にいた老夫婦がジロリとこちらを見たので、これまた2人して肩をすくめた。
博物館を出ると13時を少し回った頃だった。
「そろそろ腹減ったか?」
「んー、そうだね。もう昼過ぎてるんだもんな…」
「ちなみにポーランドでは昼飯の時間は大体16時か17時らしいぞ」
「それってもう晩飯だろ!」
2人は笑いながら博物館横、ショパン音楽アカデミーの前にある公園に入っていった。
校舎の窓からピアノの音色が漏れている。
その窓を遼太郎は見上げ、目を細めた。その後ろ姿に稜央は語った。
「俺…本当に音大とか行くつもりなかったよ。だってさ、すっげえやついっぱい来るだろ。ちょっと上手だからって言っても…卒業して何ができるって言うの。ピアノで飯食っていける気なんて全然しなかったし」
遼太郎は振り向いて稜央を見、少し寂しく微笑んだ。
「やってみなきゃわからないじゃないか」
「やってみようと夢を見られるような環境じゃなかっ…」
そこまで言って稜央は口を噤んだ。
「ごめんなさい。変な意味じゃなくって…」
「いや。確かにその通りかもな」
遼太郎は俯き、ため息をつく。そして訊いた。「何が食いたい?」
稜央も気を取り直す。
「うーん、そうだな…昨日がポーランド料理だったろ…。今日は違うものがいいかな」
「じゃあ寿司でも食うか?」
「え、海外で寿司…? いや、やめとく」
2人はその公園をのんびりと抜けて、Chmielna(フミエルナ)通りにあるジョージア(グルジア)レストランに入った。
しかし遼太郎はそこでもまた小籠包のような「ヒンカリ」を頼んで、稜央を唖然とさせた。中身はキノコだった。
こんな国までも餃子や小籠包みたいな料理があることに稜央は驚いたが、そういった食べ物はシルクロードを経由して、東の彼方から欧州に流れてきたんだぞ、と遼太郎が教えてくれた。
なるほど。世界の餃子を食べ歩く旅、面白そうだな、と稜央は思った。
しかし彼はまだここポーランドが初めての海外旅行先である。
その後も料理はどんどん出てきた。
シシケバブのような肉の串焼きと、肉と米が入った少し辛い「ハルチョー」というスープが絶品だった。
ジャガイモと肉、玉ねぎなどが入った、ジャーマンポテトのような「オジャクリ」という料理も美味しかった。
結局2人は昼からジョージアの赤ワインを1本空けた。
#11へつづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?