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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Childhood #18

中学3年生になった梨沙は、高校からドイツに年間留学したいと言い出した。高校には交換留学制度があり、当然それを目的として入学したつもりだった。
以前から話を聞いていた遼太郎は何とも言わなかったが、夏希は大反対であった。

「何度言ったらわかるの? 家族が1年間も離れ離れになるのは絶対にだめ! それに大学でならまだしも高校でしょう? 早過ぎるわ」
「どうしてよ!? 高校で留学制度があるってこと自体、行ってもいいってことじゃない! 何のために入った学校なのよ! 」
「短期の選択肢だってあるでしょう? まだあなたは子供なの。1年間も…何かあったらどうするの」
「何にもないから! それに旅行や遊びじゃあるまいし、短期なんて意味ない!」
「わからないじゃない! 何かあってからじゃ遅過ぎるのよ!」

理由になってない、わからずや! と叫び梨沙は自分の部屋に閉じこもった。

しばらくすると不貞腐れ机に突っ伏した梨沙の元に帰宅した遼太郎がやって来た。夏希が経緯を話したのだろう。

「単身留学はダメだって? ママは自分のつらい経験があるから、それはわかってあげてくれよ」
「ベルリンに行けるから今の学校に行かせてくれたんだと思ってたのに! ママのせいで可能性を潰されたくない」
「そりゃそうだけど。俺が後で説得しておくから。でも梨沙もママのことわかってあげないと」
「嫌だ」
「梨沙」
「ママは私のことわかってくれない。わかろうともしてくれない。ママは私が嫌いだし、私もママが嫌い」

夏希のことを悪く言うのは許せない。
遼太郎は梨沙の頬を強く挟むと、鋭い目つきで言った。

「お前だってママのことをわかろうとしてないくせに、矛盾したこと言うじゃないか。壁を作るなと昔からあれほど言ってるだろう。ママを理解しようとしないのなら、俺もお前を助けないからな」

急変した遼太郎の、目の縁がすっと朱を帯びる。こんな父は滅多に見ない。
本気で怒ると震え上がるほど怖かった。

「誰のお陰で留学ができると思ってる? それがわかるなら俺の言うことを聞けよ。お前は自分の母親のことをもっと理解するよう努めるんだな」

震えた梨沙は頷くしかなかったが、本当はわかりたくなんてなかった。

「パパ、私ベルリンに帰りたい。帰りたいの…」

震える声ですがるように呟いた梨沙に、遼太郎の胸にも針のような痛みを感じた。

***

留学に関しては遼太郎も夏希の説得には相当労力を費やした。

「梨沙が自分でやりたいと言ったことは出来る限りやらせたいんだよ。そうして自分で判断したことが失敗だったとしても、失敗の経験も含めてさせたんだ」
「だからってどうしてよりによって…留学が…ドイツだなんて」
「ドイツじゃなかったら良かったのか?」
「それは…」
「夏希の辛い気持ちもよくわかる。でもそのために子供たちに制限を課すような事はしたくない。俺も仕事の都合がつく限り様子を見に行くようにするから」
「あなたも一緒に行って…それでまた連絡がつかないようなことがあったらどうするの? 失敗の経験って、最悪の事態になったらどうするの?」

夏希は梨沙がまだお腹の中にいた頃、ちょうど遼太郎がドイツ出張に行っていた時に、ベルリン近郊で大規模な交通事故が発生したというニュースをたまたま見、すぐに遼太郎に連絡を取ったが繋がらず、PTSDも発症して半狂乱になったことがあった。

この件に関しては夏希も極端な考えに偏ってしまうようだった。

「あの時は…ごめん。そうならないようにするから」
「言い切れないでしょ?」
「夏希、冷静になって」
「私、冷静よ。少なくとも梨沙よりは」
「そうか。でも夏希が今考えているのは梨沙のことじゃない。自分のことだ。しかも最悪の結末しか考えられてないだろう? 冷静とは言えない」
「…」
「梨沙は子供の頃過ごしたベルリンを気に入ってた。友達も多かったし、伸び伸び過ごしていた。自分があの環境がどれだけ合っていたか、わかってるんだ。だったら、行けるチャンスがあるなら行かせてあげようよ」

遼太郎は夏希の目を覗き込んで言うと、小さく震えながらも「わかった」と了承した。そんな彼女を強く抱き締めた。

「ありがとう。出来る限り仕事の都合を付けて様子を見に行く。絶対に心配はかけないようにするから」

本当は了承なんてすぐには出来ない。そう言葉が口から出ただけだった。
あなたが梨沙に会いに行っている間、家を留守にするんじゃない。

***

「そういうわけだから、もし留学が決まったら俺も時折会いに行くと思う」
「嬉しい! パパ、ママを説得してくれてありがとう」
「礼ならママにも言っておけよ」

口を結んだ梨沙に遼太郎は厳しい表情を向ける。

「約束、忘れたとは言わせないぞ」
「…わかった。後で言っておく」
「今、言いにいけ」
「…」

梨沙は自分の部屋を出て、リビングにいる夏希の向かいに立って言った。

「ママ…留学許してくれてありがとう…」

夏希は小さくため息をつき「本当は心配で仕方ないのよ」と言った。

「でもあなた、子供の頃にいたベルリンのこと、とても気に入っていたものね。"日本は嫌い、こっちはいい" とか言って」
「…何も我慢しないでも良かったから。私のこと誰も変人扱いしなかったから」

夏希は胸が詰まる思いだった。こちらでは変人扱いされていたなんて言われたら。

ベルリンでは自分だけが浮いていた。あくまでも自分は日本人で、日本人の感覚で過ごしていた。楽しいこともあったが、馴染めたかというと疑問だ。

夏希は、自分と遼太郎は夫婦だけれど、やはり別の人間なのだ、と思う。
ふと、急に遠くに、感じた。家族なのに。

***

ドイツの交換留学枠は学内で1~2名だけだったため厳しい競争になりそうだったが、梨沙は早くから猛勉強をしたし、ドイツ語力は誰よりも勝っていたこともあり無事にその枠を勝ち取った。
家のことなどいくつかの障壁を乗り越えて、梨沙は高校1年の夏から1年間、ベルリンへの留学を果たすこととなった。

ベルリンに行けることは嬉しかった。やっとだ、という思いもあった。
その反面。

基本的に現地での滞在は、学校の指定したホームステイ先に滞在することとなるのだが、人見知りの強い梨沙にとって他人の家で暮らすということは大きなプレッシャーだった。

「ねぇ、やっぱりパパもベルリンで仕事してくれない? 社長なんだからいいでしょ?」
「バカ、何言ってるんだ。最初の語学学校に通う間は滞在出来るけど、1年なんて無理に決まってるだろう」

今までは遼太郎がいてくれた。自分の一番そばにいて、一番理解してくれていた、守り神。

そうだ、最初のうちだけ来てくれるものの、いずれ帰ってしまう。
わかっていたはずなのに、ベルリンに帰りたい一心ですっかり抜けていた。

ベルリンでの暮らしに、父はいないのだ。

「パパがいないと、生きていけないのに…」

その寂しさと胸の苦しさに梨沙自身が驚くと同時に、足元がすくわれるような不安に飲み込まれる。

ずっとずっとそばにいてくれないと…、私…。




~Father Complex編へつづく


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