見出し画像

【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment’s Notice #26

追いついた康佑は梨沙と肩を並べて歩く。
梨沙は大人しかった。好きなやつのことで頭がいっぱいなんだろうと思うと、康佑は複雑な気持ちになる。
とはいえ、その話題は彼女を苛立たせるようだから、これ以上突っ込むことは出来ない。

しばらくお互い黙ったまま、ゆっくりと桜並木を歩いた。時折梨沙は桜にカメラを向け、康佑もその度に立ち止まり彼女を待った。

都内の桜(ベルリンではないです。2023年3月撮影)

5月。留学生活も残り2ヶ月ほどだ。
康佑は切り出す。

「俺さ、横浜に住んでて、学校は都内なんだ」
「ふぅん」
「梨沙は都内に住んでるって言ってたよな。意外と近所なんだよな」
「そうなの?」
「そうなのって、横浜知らないとは言わせないぞ」
「知ってるけど、行ったことあったかな」
「えっ、マジで?」

梨沙は考えたが、やはり思い当たらなかった。

「…でさ、帰国後も、会えないかな?」

帰国したら会いたい。
そう願った人とは叶わなかった。

「私にそういう気持ちはないから」

静かに梨沙は言い、康佑はいよいよ潮時か、とため息をついた。

「じゃあ、まぁ…仕方ないな。でもお前、帰ってからも絵を描いたりするんだろ? SNSにアップしたりするんだろ? それを見るのは別に構わないよな?」

そうか、アーティストととして名を轟かせるということは、良くも悪くも意図しない人の目にも触れるということかと、これまた当たり前のことを改めて梨沙は思った。

「そんな先のことわからないけど」

梨沙は腕時計に目をやった。

「"電話のお時間" か?」
「…うん。でも今日はしない。メッセージだけ送っておけばいいから」
「そうなんだ。聞かれたくないんだったら、俺、あっちに行ってるけど」
「…電話の内容なんて誰だって聞かれたくないでしょ、特に好きな人との会話なんて」
「あれ、家に電話してるって言ってなかったっけ?」

梨沙はハッと口に手を当てた。

「何だお前、本当は違ったんだ? え、でも付き合ってないのにいつも電話で話はするの?」
「…」
「本当は付き合ってるんじゃないの?」

口に手を当てたまま黙って首を横に振る梨沙に、康佑はそうだった、この事に触れると梨沙は怒るんだったと思い出す。

「まぁいいや。お前が好きな人と上手く行くこと祈ってるよ」
「…嘘つき」
「えっ?」
「そんなこと、これっぽっちも思っていないでしょ」
「そんなことないよ。だって誰だって好きな人の悲しい顔より、楽しそうにしてる顔の方が見たいだろ? 違うか?」
「どうだっていいじゃない。だってもう留学が終わったら他人同士になるんだし」
「良くねぇよ。お前、勿体無いことしてるんだから。笑っとけよマジで。そしたら奇跡も起こるって」

その言葉に梨沙は突然ポロポロっと涙を零し、康佑は慌てた。

「えっ!? なんでいきなり泣くの? 俺そんなマズイこと言った?」

私に奇跡なんか起こらないんだよ。バカだね。お人好しっていうか、ホント子供。

梨沙は手の甲で涙を拭った。ツンと鼻をすすると、その表情はいつもの強気な梨沙に戻っていた。


***

6月に入ると留学期間は実質1ヶ月、Schulz家の滞在も残りわずかになった。

梨沙の滞在中、約9ヶ月間は色々な事があったが、Emmaはこの頃気になっていることがあった。

年明けに家族で一緒に過ごした梨沙が帰宅し、恋した日本人旅行客の相手が連絡先を消してしまったようで、もう連絡は取れなくなったと梨沙は肩を落としていた。心配したが、強くこだわりがちの梨沙はあまり執着しなかった様子だった。
彼の登場にあんなに嬉しそうにしていたのに、あれ? と思った。

そうして梨沙の父が倒れる騒ぎが起こり、梨沙の精神状態は彼によって大きく揺らいだ。
もちろん親の健康を気遣うのは当然だ。けれどパニックに陥った梨沙を見て、完全に父の虜…もしくは完全に依存している、という印象を受けた。

もちろん相手にもよるだろうが、梨沙にとって父は全ての意味で絶対的な存在なのだと感じた。

一度は父の元を離れようとした梨沙、それは本意なのかどうか、Emmaは気になっていた。

「リーザ、やっとパパの元に帰れるね」

試しにそんな言葉を掛けてみると、梨沙ははにかんで「うん」と答えた。

「誰が現れても、やっぱりリーザのパパには敵わないのかな?」
「うん…パパはね、もう誰を好きになっても何も言わないって言ってくれたから』
「それって、反対していた旅人の彼のことだって受け入れてくれるってことでもあるよね?」
「…稜央さんは諦めるしかなかった。もう何も出来ないんだもの。ただ…元気でいるのか、それは気掛かりだけど…」
「もしリーザがアーティストとして有名になって、その "リョウ" って人が連絡寄越してきたら…」

梨沙の頬がピクリと動いた。

「でも…もう…パパがいるから…私が好きなのはパパみたいな人、じゃなくてパパだってわかったから…」
「それをリーザのパパは、受け入れてくれてるの?」

その瞬間、梨沙の瞳が揺れ動いた。
そうではないのだ、と察する。ただ、梨沙は続けた。

「パパとは昔から変わらない。お願いすれば一晩中ハグしてくれるし、キスだってくれる」
「それは…恋人としてというわけじゃなくて、親子として、って事だよね。リーザのパパにしてみたら」

梨沙の父親は当初『父親に恋愛感情を抱いても、それは到底受け入れられない』と話していたと聞いた。
また日本人旅行客の相手のことも『そんな人好きになっちゃダメだ』と言っていたと梨沙から聞いている。

何がきっかけかはわからないが、それを撤回したというのか。梨沙の父は結局どうしたいのだろう。

初めて会った時、梨沙の父は聡明でかなりのジェントルマンに見えたが、彼自身が娘との距離感を測りかねているのかもしれない。

「いいの…それでもいいの…そばにいられるなら…」

そうは言っても梨沙は、少し困ったような顔をした。
彼女もまた、迷っているようにも見える。

誰を愛したって構わない。それはそう思う。
けれど親子の場合は…かなりタブーな領域であることは、マイノリティのEmmaでも思っていた。なかなか全面応援するのは難しい。

Emmaは小さくため息をついて言った。

「リーザ、あなたの幸せを願うわ」
「ありがとう。Emmaも」
「私もいつか日本に旅しに行くね。その時は連絡するからよろしくね」
「もちろんよ」

結局月並みのやり取りで締め括るに留まった。

***

そうして梨沙は約束通り、得意科目のいくつかでトップの成績を取り、ギムナジウムでの履修を終えた。

最終日の学校で康佑を見かけたが、彼は梨沙に向かって「梨沙、Tschüss!!(さようなら)」を快活に手を振っただけで、潔く去っていった。

梨沙の方が彼の背中をしばらく見送った。


***

そうして、帰国。
約1年ぶりの日本。

空港を出た途端、うだるような湿度にうんざりしたが、家に帰るんだなと思うと、こそばゆいような気持ちになる。
空港に家族の出迎えはない。
タクシーの車窓から見る日本の景色は、懐かしくも何ともなかった。何となく憂鬱な気持ちにさえなった。

家では夏希と、既に夏休みに入っている蓮がいた。蓮は梨沙の顔を見るなり、「おかえり」とぶっきらぼうに一言だけ言って外へ出て行った。一応帰りを待っていたのだろうか。

スーツケースを開いて洗濯の準備を始めたのは夏希で、梨沙はそのまま自分の部屋に入りベッドに倒れ込んだ。

物音で目を覚ました時は、辺りは既に真っ暗だった。時計を見ると既に午前0時を過ぎている。珍しく熟睡したようだ。

時差ボケなのか、重たい頭を振って部屋のドアを開けると、廊下も暗かったが、奥のリビングルームからわずかに灯りが漏れていた。
ガラス戸の向こうに人影がよぎる。

梨沙はリビングへ向かった。ガラス戸を開けると、ソファサイドのルームライトだけが点いていた。
そして頭からバスタオルを被り、缶ビールのプルタブを開けようとしている遼太郎の後ろ姿。

「パパ…」

その声に彼は缶を開けるのをやめ、ゆっくり振り向いた。

「…おかえり、梨沙」

梨沙は駆け寄ってその胸に飛び込んだ。
遼太郎は笑って強く抱きしめると、梨沙の頬を両手で包んだ。

「梨沙…1年間よくやったな」
「もうしばらく、離れたくない」
「そんなすぐにどこか行かれても困るよ」

遼太郎の裸の胸の匂いをかぎ、頬を寄せる。シャワー後のせいか、熱を感じた。
この温もりが、何処よりもの居場所だと感じる。

遼太郎は以前、俺のもとに生まれてきたことを悔やむか? と梨沙に訊いた。今ならはっきりと "Nein" と答える、と梨沙は思った。

ただ…、生まれ変わったら娘ではなくて、やっぱり恋人がいいな、と思う。
生まれ変わっても私はこの人のこと、愛する運命にあるんだって思えるの。

結局梨沙は、蝶のように自由にどこへでも羽ばたくことは出来なかった。
彼女はいつまでもただ1箇所に留まれれば良いのだ。

羽根なんてなくなってもいい。
自由なんてなくてもいい。


標本のように細い針で身体を貫いて、ただ1箇所、一生、ここに留まれればいいと梨沙は思い、目を閉じた。





『Moment's Notice』編 END


舞台を日本に移し、続編へ(公開時期未定)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?