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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment’s Notice #25

"ベルリンにすごい絵を描く、日本人アーティストがいる"

梨沙の描いた『蝶と不死鳥』は更に話題を読んで、SNSでも拡散された。小学校時代の先生や同級生からも、梨沙の元に連絡が入った。

ベルリンの若手クリエイターが作品を紹介するWebサイトにも名を連ね、SNSやギャラリーで既にその作品群を知っていた者からの制作依頼も舞い込むほどだった。

年明けから留学終了までなるべく大人しく過ごそうと思っていた予定は色々と狂ったが、もう仕方がない。

ただこんな風に賑やかしくなると心落ち着かなくなる。
毎日の遼太郎との会話が拠り所だった。

遼太郎の入院は1週間以上かかったが、退院後の経過は悪くはない、とのことだった。ただしばらく安静が必要で、家で仕事をすることになっているという。

だから電話も平日は短く短く済ませ、週末の夜に少し長めに会話するようにした。

その週末の夜に、梨沙は今の自分の周辺の慌ただしさについて相談した。

「色んな所から絵を描いてって言われていて…なんかもう大変なの」
『世界に名を轟かすアーティストになりたいのなら、もっと慌ただしくなるぞ。今からそんなんで大丈夫なのか?』

遼太郎は呆れたように、でも優しく笑って言う。

「そうだけど…」
『梨沙は描きたいのか、描きたくないのか。どっちなんだ?』
「…どっちだろ。わかんない。でも今は留学中だから、落ち着いて勉強する時間奪われたら言語道断でしょ。パパだって前に、恋愛なんかに現を抜かして勉強を疎かにするなって言ってたでしょ」
『まぁそれはそうだけど…、恋愛話とはまたちょっと違うような…』
「どういうこと?」
『時間の使い方は今しかできないことを優先してやる、が鉄則だからな。せっかくベルリンにいるうちしか出来ないことを優先させたら、後悔しないと思う』
「…」
『それは勉強だけじゃないってことでもあるぞ』
「でも私、約束したじゃない。トップの成績取って帰国するって」
『全ての科目で、とは言ってないよな。お前がいまそこで感じたものを描いて、それを観るのも俺は楽しみだな。ただ無理は絶対するなよ。せいぜい8割だな。もう少し出来る、と思ったらそこでやめること。いいな』
「…わかった。パパが見たいって言うなら描く。その代わり数学とか物理は諦めるからね。あとパパも! お仕事は6割くらいでやめておいてよね!」

電話の向こうで遼太郎は笑って『了解』と言った。

そうして梨沙は『蝶と不死鳥』の派生作品を、規模を縮小して描き始めた。

遼太郎の入院で感じた恐怖を、モノクロの世界で表現した。
夢の世界では明るいアイボリーだったが、その後の暗転がすべてを物語った。

まるで深い落とし穴の中を思わせる空間。
不死鳥の羽根が地面に垂れ、その上をか弱く迷うように浮かぶ小さな一羽の蝶。頭上から細い、一筋の光が蝶の羽を青く照らす。それが唯一の色だ。

不安、迷い、心配。

その後、病院からの遼太郎との会話で感じた希望と気付きでは、原点回帰で “傷を負ったミカエル” を登場させた。

なるべく子供の頃に描いたものを忠実に再現しつつ、肩の傷口に蝶を止まらせた。
ミカエルが振りかざす剣の先には、目鼻を描かず口は叫ぶように開き、うねるように描かれた群衆。

梨沙は描きながら何度も涙を流した。
過去の自分と、一番大切なものを自覚しそれを描くことに、いつも感極まった。
しかしその波の後は非常に穏やかな気持ちになった。

当たり前のことが、本当は当たり前ではないという、当たり前のことに気づく。
それは日常、なかなか気づくことは出来ない。
梨沙は本気で失う前に気づく事ができてラッキーだったかもしれない。

梨沙の作品の噂は当然康佑の耳にも入り、WebサイトもSNSもチェックしていた。

「あいつ…マジやべぇな…」

上手いとか、単純にそんなレベルではない。童顔のくせして…童顔はあまり関係ないと思うが…すごいもの描くんだなと思った。

「梨沙」

いつものように、学校で声を掛ける康佑。

「…Hallo」
「お前の絵、見たぞ。すごいな」
「…なにがどうすごいの」

呆れたような冷ややかな目つきで梨沙は返す。

「や、どうしたらあぁいうの描けるのかなって。俺、特に絵心ないしさ。自分に出来ないこと出来る奴って単純にすごいじゃんか」
「君の造りが単純すぎるからなんじゃない?」

はいはい、とこちらも鼻から小さなため息を付く。

「お前、意外と花、好きなのな」
「意外と?」

しかし梨沙も言われてそうか、と思う。

自分が生まれ育ったのは東京、それも都心に近いエリアではあるが、都内は思ったよりも緑も多く、花も溢れている。
また梨沙の家は運河も多く流れるエリアで親水公園が広がっている。子供の頃家族で、そして最近までも遼太郎と出掛ける時は親水公園に沿って歩き、更に高台の広々とした公園に通った。

言われてみれば常に花を目にして育ってきた。家でも夏希が、どこからか持ってくるのか買ってくるのかわからないが、よく黄色やオレンジ色の小さな花をジャムの空き瓶などに活けてテーブルに飾っていた。

「そうかも…しれない」
「かもしれないって…じゃなきゃあんなに…目が潰れるくらい細かくてたくさんの花を描けるわけないじゃないか」

自分が描いたのは自分と父の姿であって、正直花はあまり意識していなかった。

「そうそう、俺初めて知ったんだけど、こっちでも桜って見れるのな」

康佑が言うように、ベルリンにも桜の名所がいくつかある。日本から寄贈されたものが『壁』沿いに咲いていたり。
当然梨沙も知っていたが、だからこそ桜が "日本の特別なもの" という意識がなかった。

「それが何か?」
「だって珍しくないか、海外で桜なんて」
「そう? 別に普通でしょ」
「なんだよ普通って」

梨沙は康佑の言葉を頭の中で繰り返した。『なんだよ普通って』
…確かに。

「お前の絵にも桜、描いてなかった?」
「描いてる。東京の家のそばに桜並木があって、小さい頃から描いていたモチーフだし」
「…お前ってなんか、つくづく恵まれた環境にいるのな」

そうなのかな。でも "普通じゃないの?" とはもう思わなかった。

「じゃあベルリンの桜も描いてるのか?」
「…子供の頃、描いたよ」
「今は?」
「今って…」
「咲いてるじゃん、今」

北海道よりも緯度が高いベルリンでは、4月の終わりから5月にかけて…ちょうど日本のゴールデンウィーク辺りに咲く。

「だから何よ」
「いや、だから…」
「そんなに私をデートに誘いたいの、君は」

梨沙は意地悪そうにククッと笑った。康佑は口をへの字に曲げる。

今年のゴールデンウィークは、春先の遼太郎の体調不良もあったため彼がドイツに来ることはなく、梨沙も気を遣って帰国をすることを控えた。本当は帰りたかったけれど、留学終了まであと2ヶ月、我慢をしようと決めたのだ。

それもあって梨沙も、寂しさを何かで埋めたかったのかもしれない。

「まぁでも…ベルリンに来て今しか出来ないことをやる…ってことだよね」
「えっ? なんて?」
「何でもない。いいよ見に行っても」
「マジ? じゃああの、テレ朝通り(ベルリン南部Teltow市にある、正式名称TV-Asahi-Kirschbluetenalleeという、その名の通りTV局が寄贈した桜の並木が広がる通り)はどう? 桜祭りもやってるんだよな、確か」
「そこは遠いから嫌。せめてBornholmerStraßeベルンホルマーシュトラーセ駅の方にして。あといつも言ってるけど、絶対に私に触れないでよね」

BornholmerStraßeは壁が残っているエリアがあり、その壁沿いに桜並木がある。またこの駅は1989年11月9日、ベルリンの国境が開かれたあの歴史的瞬間に、市民が殺到した駅でもある。子供の時に遼太郎に連れられて訪れ、東欧革命の話をそこでも聞いた。駅には当時の市民の様子を捉えた巨大パネルが展示されている。

そうして2人はS-bahnに乗り桜を見にやって来た。
それなりに人々が桜を楽しんでいるようだったが、多くはアジア人だった。ただ当然、日本のようにビニールシートを敷いて酒を飲みながら愛でるような人はいない。

「やっぱあれだな、日本のソメイヨシノとは違うんだな」
「そうね」
「花見って言ったらやっぱりソメイヨシノだよな~。何でなんだろな?」
「さぁね。散り方が日本人好みなんじゃないの」
「散り方?」

梨沙はハッと思い出し足を止めた。

『梨沙は桜が好きなの?』
『うん、すぐ散っちゃうところ』
『すぐ散っちゃうところが好きなの? 変わってるね梨沙は』

梨沙がまだ小さい頃、遼太郎と2人で近所の川辺の桜を見に行ったときのこと。
散った花びらが川面を流れ行くのが好きで、そんな絵を描いた梨沙に遼太郎がそう言った。
彼に抱っこされ、川面に反射する日差しの眩しさ、暖かさをよく憶えている。

やはり無理にでも日本に帰って、会いに行けば良かった。日本は桜はとっくに終わっているけれど。

梨沙は桜並木をスマホカメラに収めた。

「セルフィ撮るなら俺も一緒に」
「触るなって言ったでしょ」
「触らなくたって一緒に写れるだろ」
「お断り! セルフィしないから。単純に景色の写真撮るだけ。それで私の好きな人に送って見せてあげるの」

康佑は口を「あ」の形に開けた。

「例の片思いのやつにか」
「そんな言い方しないでくれる?」
「そいつ…病気か何かなの?」
「もうとっくに治ってる」

康佑はやはり病床にいたのか、と思った。それはある意味正しく、ある意味勘違いなのだが。

「今は元気なのか」
「もちろんよ。本当は一緒に見れたかもしれない桜だから、送ってあげるの」
「一緒に見れたかもしれないって…」
「ゴールデンウィーク使って、こっちに来ていたかもしれないから」
「じゃあ今は日本にいるのか」
「そうよ」

日本人だったのか、と思うと康佑は少し悔しくなった。相手が外国人だと決めつけていたわけでもなかったが、思ったより身近な奴だったんだな、と思うと少し、悔しい。

「…片思いなのに、こっちに来て会えたかもしれないって、なんか微妙だな。なんでそいつと付き合えないんだっけ」
「…」
「ずっと前から好きなんだろ? そいつは梨沙の気持ちに気付いてないの?」
「…放っておいてくれる?」

梨沙は康佑を置いてサッサと歩き出し、康佑は慌てて追い掛けた。






#26最終話へつづく


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