8月の甘い夜 #1
『のこりもの』で恋に奮闘した”残念なイケメン” こと、飯嶌くんがブレイクスルーしていく、その前奏曲(プレリュード)のお話
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「あ、落ちましたよ」
スーパーで女性が下げていたトートバッグから財布のような物が落ち、たまたま横にいた僕がそれを拾った。
彼女は妊婦さんのようだった。
「ありがとうございます」
女性はニッコリと微笑んだ。
「夏希、これもいるよね?」
旦那さんらしき男性が缶詰を手にして現れた。
「あれ…君は…」
男性は僕の顔を見て言った。
「えっ…」
僕は彼を知らない。しかし。
「法人営業部の…確か…」
僕が会社で所属している部署名を挙げた。
「え、あ…、ぼ、僕のこと知ってるんですか!?」
「あぁ、私は企画営業部の野島と言います」
「企画営業部…、野島…次長!」
僕は同期の中澤が、よく上司である野島次長の話をしていたのを思い出した。
めちゃくちゃスピード出世して、40歳を前にして次長。
おべっか使いとかではなく、正真正銘の実力で上がった人で、めっちゃ切れる頭と凄腕プレイヤーだって、聞いている。
そんなやついるかよ、と内心悪態を突いていたが、その当人が目の前にいる。
「君も俺のこと知ってるみたいじゃないか」
「企画営業部に中澤っていますよね? あいつ、僕と同期なんです。あ、僕は法人営業部の飯嶌優吾と言います」
野島次長は「へぇー、朔太郎の同期か」と、中澤のことを朔太郎、と下の名前で呼んだ。
「同じ会社の方? すごい偶然ね!」
女性も彼と僕の顔を交互に見て、驚いた表情をして言った。
「飯嶌は家がこの辺なのか?」
僕は野島次長に名前を呼ばれて、何故かドキッとした。急に距離を縮められた緊張感というか。
「はい、ここから5分もしないとこに住んでます」
「そうか。一人暮らしか?」
「はい。休日くらい何か作ろうかと思って、晩飯の買い出しに来たところです」
野島次長が女性をチラッと見ると、彼女は小さくうなづいた。
「せっかくだからうちに来て一緒に飯はどうだ? こっちもちょっと予定外の夕食になってしまって、慌てて買い物に来たんだ」
「えぇっ? でも悪いですよ、そんな」
「うちは全然平気よ。でもいきなり他部署の役職者の家に行くのも気が引けるわよね。飯嶌さんが嫌じゃなければ、是非。私もね、あの会社のOGなの」
そういえば中澤も言ってたな。次長の奥さんは元部下だって。企画営業部は社内恋愛が多いとも。
「しかし厚かましいのでは、と…」
そう言うと野島次長は笑った。
「社内営業も大事だぞ。あ、変なこと考えてるわけじゃないからな。法人営業部とはあまり仕事の絡みもないけれど…、顔が利くだけでも役立てることもあるだろう」
はぁ、と僕がそれでもどうしていいか迷っていると、野島次長は「まぁ最近はあまり強く言ってもハラスメントになるからな」と苦笑いした。
正直 "タダ飯" はありがたい。大変ありがたい。
しかも相手は同じ会社の違う部署のお偉いさん、同期の上司だ。
利害関係はないが、何かネタになりそうな気もした。
「僕は光栄です。では…お言葉に甘えて…」
と言うと、2人は笑顔になった。
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つづく
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