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桜舞う空を撃ち抜いて #7

2人は迷っていた。

卒業まで半年余り。

離れていくのがわかっていて、思い出を重ねていくのか。
それは別れの時が辛すぎる。

それに入試まで追い込みに入るから、2人で遊びに出かけることもほとんど出来ないだろう。

では今まで通り、過ごすのか。

お互い好きだって、わかったのに。
今まで通り、いられる?

額同士を合わせて、2人は話し合う。

桜子はつらくなるのは嫌だけど、そばにいたかった。
だから、どう言ったらいいか悩んでいた。

「野島は、どうしたい? どうするのがいいと思う?」

遼太郎は両手で桜子の頬を包んで言った。

「俺? そうだなぁ。つらくなるかもしれないけど、失くした時間を少しでも取り戻せるのなら…近くにいるうちにチェリンのこと、こうやって触れていられたらいいなって、思う」
「そしたら…」
「うん」

桜子は目を閉じて考える。別れの時を。
そしていま頬に触れている、手の温かさを。

少しの時間が流れ、沈黙を破ったのは遼太郎だった。

「つき合お。チェリン」

* * *

毎日、受験のための授業が遅くまで行われている。特に遼太郎のクラスは遅かった。

桜子はそれでも教室に残り自習をして待っていると、授業を終えた遼太郎が迎えに来てくれる。

校門を出ると遼太郎が左手を伸ばし、桜子が右手を重ね、手を繋いで歩く。

電車に乗って地元の駅まで帰り、たまにドーナツを買っていたカフェに寄って、2人でほんの少しの時間、一緒に勉強をする。
時には遼太郎が桜子の勉強を見てくれる。

その時の桜子は、もう以前のように遼太郎の指先に見惚れて現を抜かしたりはしない。

遼太郎は今でも、桜子の白い肌がきれいだなと思いながら、必死にノートをまとめる彼女を愛おしく見つめている。

桜子は東京に出ていくのは諦めた。
遼太郎は、滑り止めも含めて、全て東京にある大学を受ける。

だから4月からは本当に離れ離れになる。

2人はそれを胸に伏せて、今、いま目の前にあるこの瞬間を、大切に過ごした。

「チェリンは、進む学科決めたの?」
「うん、心理学科にしようかと思ってる」
「へぇ、なんでまた」
「野島がまたいつか落ち込んだ時、助けたいから」

遼太郎は苦笑いした。

「俺、やっぱりヤワだと思われてるのか」
「ううん、全然、恐ろしいほどタフだと思ってるけど」
「うそだね」
「うそじゃないよ。県大会の最後の立ち。あれ、本当にすごいと思ったんだから。皆中したとき、鳥肌が立ったの。本番のあのプレッシャーの中で確実に決めて。それまでの練習の様子も知ってたし、”まさかは起こさせない” なんてすごいこと言って。ほんとにこの人、やり遂げたって。有言実行したって。だからヤワなんて思ってない。でも」

「でも?」
「でも、それでまた倒れちゃったりしたら困るし、たまに当たらなくなる時、もう追い返されたくないから。力になりたいから」

遼太郎は微笑んだ。

「追い返さないよ。だってチェリンはもう俺のそばにいるんだし。それに」「それに?」
「チェリンがいるなら、スランプになることもない」

桜子は嬉しくて、遼太郎の肩に頬を寄せた。
でも、ずっとそばにいられるわけじゃない、と心に翳を落とす。

「チェリンは大学行っても、この髪キープするの?」
「さすがにすごく痛むから…バッサリ切って、ブリーチはやめて色入れてく感じにするかも」

遼太郎は桜子の髪を手に取って、惜しむように見つめた。

「じゃあこれは見納めになるのか…残念だけど仕方ないね」
「新しいあたしのことも、見てくれるの?」

本当は、そんな言葉を言うのは怖い。
卒業後、これまで通りにはいかないのに。

遼太郎は「見せてくれるんでしょ」と言う。

桜子は、どう言葉を次いだらいいのか、わからない。だから黙って頷いた。
遼太郎も、それ以上は言わない。そっと微笑むだけ。

店を出て、遼太郎は遠回りして桜子を家まで送ってくれる。

晩秋の夜は肌寒い。

家から少し離れた所で立ち止まり、ハグをする。

どんな部屋の中よりも暖かくなれる瞬間。

時折、遼太郎はとても強く抱きしめるので、桜子は苦しくなる。たくさんの意味を含んで。

「じゃ、また明日」

いつものように、優しい笑顔の遼太郎。

「うん、また明日ね」

別れが惜しい、満面の笑顔になりきれない桜子。

「また明日」が永遠ではないことを知っているから、切ない。

桜子が家の中に入るのを見届けると、遼太郎は小さくため息をつく。そして来た道を自分の家路へと戻っていく。
自分がためらわず素直に気持ちを伝えていたら、お互いの進路も違ったものだったかもしれない。

それも永遠ではないにしても。

心がはちきれそうなほど、息ができなくなるほど甘い時間を過ごせる期間は刹那だ。

既に間違いだらけの人生じゃないのか、と、たくさん傷つけてきたであろう桜子のことを思って、悔やむ。

* * *

年末。

2人は近くの天満宮へ大晦日の夜から初詣に出掛けた。

繋いだ手は、遼太郎のコートの左ポケットに収まっている。
漆黒の夜空に2人の白い吐息が吸い込まれていく。

「チェリンは着物着ないの?」
「持ってないし、面倒くさくて」
「なぁんだ見たかったのに残念」
「成人式の時、チャンスあるよ。こっちに戻って来れば」

遼太郎は「そっか」と素っ気なく答えるので、「戻って来ないの?」と尋ねると「先のことはまだわからないな」と遠くを見つめた。

2月になれば遼太郎は入試のためにしばらく東京に滞在する事になっていた。
いよいよ、2人の時間がカウントダウンされていく。
砂時計の砂が、どんどん減っていく。
桜子はそう感じていた。

境内は明るく照らされ、多くの人が訪れていた。
受験もあるので、同級生も何人か訪れており、2人を見かけると冷やかしの言葉をかけたりした。

「うるさい、邪魔するな」

言い返す遼太郎はまんざらでもなさそうだ。桜子もそんな遼太郎を見ていると、心強い。

除夜の鐘が響き始めた。

周囲のざわめき。

「チェリン、寒い? ほっぺた赤い」
「風が冷たいんだもん」

遼太郎はそんな桜子の頬に自分の頬を寄せた。

「ほんとだ。冷た」
「あ、不意打ち」

照れた桜子は、ますます頬を染めた。

ざわめきが、カウントダウンに変わった。

「新しい年になるね」

希望も絶望もある、新年だと思った。

3! 2! 1...

再び桜子に、遼太郎が近づく。

「おめでと」

ゆっくりと唇を離した遼太郎が笑顔で言う。

「…おめでと」

赤い頬のまま、桜子が言う。

2人は参拝のために賽銭箱の前まで進む。普段から神前礼拝をしているので、参拝の前に目を合わせてほんの少しニヤリとする。

桜子は、遼太郎の合格祈願をしつつ、合格はしてほしいけど、出来ればこのままずっといられますようにと願った。

遼太郎は、桜子が希望の進路に進んで、迷いのない人生を送ってくれるようにと願った。

そのまま2人はおみくじを引く。
遼太郎が中吉、桜子が小吉だった。
”なんか微妙だね”と笑い合う。

その後は合格祈願のお守りをお揃いで買う。

参道へ出て、出店をのぞく。りんご飴を1つ買い、2人でかじりながら歩く。

桜子は幸せだった。受験のことも、その後のことも、今このひとときは考えずにいた。

遼太郎は、桜子の幸せそうな笑顔を見て嬉しかった。
ただこの笑顔が、近いうちに別れの悲しさに変わることを思うと、胸が痛んだ。

帰り道、遼太郎は自分のコートの中に桜子を包み入れた。
桜子は両腕で遼太郎の腹に抱きつく。
2人して ”歩きにくい” と笑いながら家路をたどる。

桜子の家が近づいてくる。
いつもの場所で立ち止まりハグをする。

遼太郎は桜子の冷えた頬を両手で包んで「風邪引くなよ」と言った。

「野島もね」

桜子も彼を見上げて言った。

冬休みが明けたらいよいよ出願が始まる。
今までのようには会えないことは2人ともわかっていた。

2月になれば遼太郎は試験のために東京へ出て、ほぼ1ヶ月帰ってこない。
桜子もその間に試験を受けていく。

そばに遼太郎はいない。

ひとりで耐えなければいけない。

* * *

3月。

夜明けのバスターミナルに、桜子はいた。
今日、遼太郎が東京から戻ってくる。

遼太郎は国公立を落としたが、自分が第一志望と話していた大学に合格している。桜子も一部合格発表待ちではあるが、浪人は免れている。

2月の受験期間中は、お互いの試験が終わった日・翌日に影響がない日の夜だけ、連絡を取り合った。

桜子は遼太郎の声が聞けるだけで、涙が出そうだった。
毎日心細い。自分には自信がないし、遼太郎がそばにいなくて、まるで身体半分をえぐられたような気分だった。

それでもそんなことで受験に失敗したら、それこそ遼太郎に合わせる顔がない、と桜子は必死だった。人生で一番必死になった。
負けたくない。自分に。

遼太郎は約1ヶ月間東京で過ごし、地元に未練はないなと思っていた。
桜子のことだけ、気になった。

予定の時刻通り、遼太郎を乗せたバスがターミナルに入ってくる。

桜子は待合室から飛び出して、まだ冷たい早春の風に一瞬首をすくめる。

車窓越しに、降りる準備をしている遼太郎が目に入り、精一杯手を振ると、遼太郎も気がついて手を振り返す。

バスを降りてきた遼太郎に桜子は飛びついた。

「おかえり…!」

既に桜子はもう鼻声だった。
遼太郎は彼女の細い身体をしっかりと抱きとめる。

「野島、合格おめでと」
「ありがと。チェリンもあと一息だな」
「もう試験はいいやって気分」

そう言うと遼太郎は笑った。

「チェリンの髪、ちょっとプリンになってきたな」
「さすがに試験期間中は、髪に気を取られてばかりもいられなくて」

桜子はちょっと恥ずかしそうに生え際をおさえる。

「でも野島が帰ってきたから、週末は美容院行く」

そう言うと遼太郎は嬉しそうに桜子の髪の生え際を撫でた。

「バスでよく眠れた?」
「あんまり」

遼太郎はタイミングよく欠伸をした。

「じゃあちゃんと寝ないとね」
「うん、チェリンも一緒に寝よう」
「は…? な、何言ってんの!?」

桜子は顔を真っ赤にして驚いたが、遼太郎は「ごめんごめん、そういう意味じゃなくて」と慌てて否定した。

「チェリンにくっついて眠りたい。久々に会えたから」

2人はそこから学校へ向かった。

「俺、まだ部室の鍵返してないの」

と遼太郎はニヤリと笑う。

男子の弓道部室は畳が敷かれており、ゴロ寝くらいは出来るらしい。女子はそもそも専用の部室がなく、柔道部や剣道部と共有していた。

早朝の校内は静まり返っていた。
そもそも期末試験前だから部活はない。朝とはいえ心置きなく休めるはず、と遼太郎。

窓から朝日が入り込んで眩しい。2人靴を脱いで部室に上がりこむ。

誰かの畳まれた道着を引っ張り出し、遼太郎が自分の荷物の中から取り出したタオルをその上にかけ、枕を作る。
これまた誰かのベンチコートを毛布代わりに引っ張り出す。

「うん、いい感じだ」

寝そべった遼太郎が感想を言う。そして両腕を伸ばす。

「おいで、チェリン」

桜子は彼の伸ばした両腕に包まれた。遼太郎の鼓動が聞こえる。
さらに耳を押し当てて、聴く。

”今、確かに、ここに野島がいる”

桜子は安らかな気持ちになる。これって、自分が胎動の中にいる感じっていうの? ぼんやりとそんな事を考える。

「どした?」

遼太郎の声がくぐもって聞こえる。

「心臓の音、聞いてるの」
「あ、自分だけズルいな」

何がズルいの、と桜子は思う。
次の瞬間、遼太郎が体制を逆にして、桜子の胸に耳をあてた。

「ちょ…! 恥ずかしいからやめてよ…!」

桜子は自分の胸に遼太郎が触れることも、鼓動の速さを聴かれるのも恥ずかしかった。

「なるほど」

遼太郎は一言つぶやいた。

「何がなるほどなの」

桜子は照れ隠しで口調が強くなる。

しかし、遼太郎はもう桜子の胸の中で、静かな寝息を立てていた。

桜子は両腕で遼太郎の頭をそっと抱え、目を閉じた。




#最終話 へ つづく


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