メンタル・マッチョ・ゴリラ<誕生編> vol.1 「一撃必殺」
時は就職氷河期。
糖分、炭水化物、脂肪の順で野菜以外の食べ物を愛し、漫画と遊びに呆ける最大重量70キロのおなご=私。
母子家庭かつ絶望的な成績と人一倍のやる気のなさで、もれなく就職が危ぶまれていた。
そんな親不孝な阿呆が、
一撃必殺
コネなしで業界トップの社を射落とした。
、、、しかし、その奇跡には裏があり、、、。
「ジャングル」と呼ばれた地での会社員時代を綴る。
私は、確かに底辺学生といえた。長野と長崎、宮城と宮崎を混同する度、仲良くなった留学生から「それは、違います」と訂正され、、、
日本人としてもどうなのか?というレベルであった。
が、主食のドーナッツはキリ良く10個でまとめ買いをし、厳密な時間配分の元、その日のうちにきちんと食べきる勤勉さと、ジーパンが「成長」により裂けても、特に気にもとめない鈍感さ、大らかさを兼ね備えたごく標準的な若者であった。
そんな私はアートスクールに通いながらも、「社会科見学」と称し、底辺仲間たちと夜な夜なゴールデン街やらアングラシーンに出入りしていた。
ただ、バリバリ働きたいという野望だけは沸々とその身に滾ってはいた。
白のブラウス、黒のタイトスカート、ハイヒールをカツカツ響かせ、オフィスを飛び回ってみた~い。
働くことが所詮その程度の、、、イメージ、、、
業種も職種も、自分に何が合うのか
サワーオニオンなのか、のり塩なのか、は即答できても、将来への展望となるとフリーズしたハムレット(ハム入りオムレツではない)となってしまう。
卒業を迎える年に、予定されていた東京万博が中止となった。危機感を覚えた同級生たちは早くから就職活動に動く中、それでもぐうたら阿呆は動かない。母は家業を継がせることを早々に諦め、何も言わなかった。(いや、何か言っていたかも、、、)
そんな阿呆のやる気スイッチを押したのは意外な人物であった。
最終学年の年、エリート学生によるグループ展が開催された。お呼びでないにもにもかかわらず、オープニングパーティーに底辺仲間と潜入した。事前にケータリングが手配されるという情報を察知していたのだ。
ろくに作品も見ず「わーい!ごちそう~」と、群がる異分子どもの前に、眼光鋭い一人の人物が立ちはだかった。
「お前たち、なんでここにいるんだ!」
うわっ、フジタツ!
チョコマフィンをくわえたまま、現場を押さえら私は固まった。
藤竜也そっくりの風貌で、カリスマとして尊敬を集める
スクールの「創設者」であった。
仲間たちも同様に動けない、、、
蛇に睨まれたカカポ状態。
その時、
フジタツの耳元で何かが光った。
私はマフィンを諦めると、ぐいっと前へ進み出た。
「ピアス、素敵です。」
と、途端にフジタツはニッと笑った。
「うん、そうか。
エメラルドだ。」
お洒落なフジタツは、アラフィフになってからピアスデビューを果たしていたのだ。
話の分かる大人である。
、、、もちろん、それだけでは済まなかった。
バブルがはじけ、企業からの求人は絶望的に少なく、就職率は下がり続けている。
皆が就職活動に全力投球していた時期に、呑気に唐揚げやらケーキやらにかじりついている姿を見れば、お説教は当然であった。内容は、、、緊張のせいか忘れてしまった、、、。
「いいか、社会は甘くないぞ!」
最後にしっかりとダメ生徒たちに喝を入れ、フジタツは去った。
そんな脅し激励のあと、
社会に出てからのイメージが湧かない、怖い
と、仲間たちは口々に本音を吐露した。
大丈夫だよ~
何とかなるよ~
と、私は何の根拠もなく言う阿呆であったが、このことが転機となり、ようやく動き始めたのである。
何か所も回るのはミスドとコンビニだけと誓いをたてていた私は、就職において戦略を練った。
面倒臭かったので集中力を切らさないためにも、ターゲットを絞る。
こうしてさる商社にゴルゴ並みに照準を合わせた。
なぜかといえば卒業生も毎年入社し、
唯一「社名」を知っていたからである。
就職相談の担当者は、私のあまりの無謀っぷりと図々しさに目を剥いたまま、何度も保険をかけるよう忠告した。しかし、二十歳を過ぎても中二病が完治せず、謎の全能感に包まれていた私(世間知らずともいう)は、なんだかいける気がしていたため、まったくいうことを聞かなかった。
その勢いのまま、ターゲットの説明会に鼻息荒く凸したのだ。
しかし、、、意味不明な用語が連射され、すっかり出鼻をくじかれてしまった。
ソウゴウショクとイッパンショク?
リショクリツって?
ゴルゴであれば即、調べるはずだ。私の場合は、即、ミスドに走った。結局、業態、業績、そもそも何を知るべきかもよく分からないまま、後日履歴書を送付した。
就職活動は何か月にも及ぶ。早くも集中力は切れ始めていた。もはやその社に魅力を感じているのか、就職活動自体が目的なのか。本音は一日も早く、この緊張から、不安から解放されたい、心ゆくまでポテチ片手に、漫画を読み耽りたいという、ゴルゴに眉間を撃ち抜かれそうな、ヤワヤワなメンタル状態に陥っていた。
アートスクールからの入社枠は最低一つはある。そのおかげか書類選考は無事通過した。あとは、面接に向けてそれまでに制作した作品の資料を準備するのだが、悲しいことに不燃ゴミのようなブツしかない。
そんな現実は、またもキットカットのやけ食いに私を走らせ、就職活動用に購入したスーツが私の成長にどこまで耐えられるかという別次元の闘いも始まった。
他の優秀な学生たちは、信じられないほど緻密で秀逸な作品群を、プロ並みのテクニックを駆使しては、完璧な写真へと落とし込んでいた。そんな見惚れるようなポートフォリオを横目にぽへぇ~と、半ばヤケクソ気味で面接の日を私は迎えたのである。
もう、出たとこ勝負じゃー
しばらくして封書が届いた。
果たして、、、内定の通知であった。
就職担当者は、おめでとうと言う以前に訝しげであった。
担任の講師に至っては、何かの間違いではないかと本気で心配した。
「ちゃんとした会社なんだからな。」
と、何度も阿呆に忠告したのである。
言われるたびに私は、
「大丈夫、大丈夫~。」とヘラヘラ笑っていた。
やる気スイッチをポチッとなしてくれたフジタツへは、どんなもんだい、とばかりに手紙を書いて内定を報告。ほどなく、ビビるほど達筆なお返事をいただいた。そこには、社会人としての戒めがギッチリと教示されており、気概を持たねばと初めて思った。
どんなに大変でも3年は頑張ろう。
(ザ・昭和な意気込み)
常日頃、どん底の成績かつ出席日数もギリギリであった阿呆が、なぜ身の程知らずも甚だしい就職活動に身を投じえたのか?
私には、
『隠し剣鬼の爪』があった。
私は2年連続で、「賞」を獲得していた。
とはいっても、学生部門なうえ獲ったからと言って即、仕事に結びつくといった代物ではない。
ただ、国際的コンペティションという冠や、バックアップ企業が大手代理店というネームバリューなどなど、このバブルの残り香漂う箔付けはかなり有効ではないかと私は妄信したのである。
なお、どうして賞をいただけたのかは正直、今もって不明だ。他の常識ある生徒たちがどん引くレベルの阿呆らしい学生らしいアイデアで、目立ったためかもしれない。
事実「混沌とした世界観」と評されたことは記憶に残っている。
賞=就職の決め手
、、、以上が、内定直後の考察であったが、
まさかの「真相」が、判明したのは
入社してからだった。
※第一話をお読みいただきまして、ありがとうございます。
目まぐるしい日々を送られる中、一粒の清涼剤として皆様の息抜きとなり得ましたら光栄です。
<誕生編>全14話の予定です。
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