元いじめられっ子は星の数ほど居るのに、何故元いじめっ子は現れないのか
いや。
もうね。
これはタイトルでオチてる話です。
もはや1億総いじめられっ子時代と言ってもいいほど、どんな人でもいじめられた、とか、パワハラを受けた、みたいなことを言うじゃないですか。
まぁ私もそうなんですけどね。
じゃあクラスとか職場を見るとそんなにみんな攻撃を受けているかというとそうでもなくて。
今まで見た中では限られた人がいじめやパワハラを受けていて、それと同数かそれ以上のいじめっ子が居る訳ですよ。
あのね。
いじめっ子、どこ行っちゃったのよ?
1億総いじめられっ子社会ってことは、裏を返すとですよ、1億総いじめっ子社会とも言えるわけで、これだけいじめられカミングアウトが多いってことはそれだけやってる奴が居る。
凄い数ですよ。
普通に考えたらね。
でも、ほとんどいじめっ子エピソードなんて聞かない。
これ、結構どうかしていると思うんですよね。
自分がマイナスになるようなエピソードってそう話せないし、そこに向き合っていたら結構耐えられなくなるんじゃないかと思うんです。
私だってありますよ。
無意識に傷つけちゃったこと。
職場の同僚から告発されたことだってあります。コミュニケーションロスではなくて、完全に私の過失で。
流石にこれはしんどいです。
ただ。
これやってみて思いました。
キツい思い出として被害を受けたことを誰かに伝えるのであれば、自分がやらかしてしまったことの方も重んじるべきだと。
恐らくより難しくて、生きていくうえで糧にしなければならないのって、やっちまった時のことなんですよ。
何故かを考えると、やっぱりそれって向き合いにくいことだからだと思うんですね。
自分の痛い部分を考えるっていうのは本当にパワーが要る。でも、それも自分なんです。
よく最近は「自分らしく」なんていう、モヤッとしたポジティブな部分を重んじるような風潮がありますけど、実は悪い意味での「自分らしさ」っていうのも存在するんです。
勿論良い部分を伸ばすっていうことは大事だとは思うんです。ただ、悪い部分っていうのが最近では語ることもはばかられるような気がしてなりません。
悪い方の「自分らしさ」っていうことも含めてこれからは見つめられる自分でありたいし、モヤッとしたポジティブな空気に流されないようにしていきたいものです。
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