『誰もが人を動かせる!あなたの人生を変えるリーダーシップ革命』を読んで。
こんにちは、桜井です。
森岡さんの本を読んで心に残った部分を抜粋するとともに、自分の所感をまとめてみました。
リーダーシップの強さは何で決まるのか?
本書の冒頭にも書かれていますが、森岡さんはリーダーシップとは“後天的なスキル”と定義されています。
それは森岡さん自身が後天的にリーダーシップというスキルを身に着けたから、という事実に他ならないのですが、、、ではリーダーシップの強さとは何で決まるのか?という問いに対し、以下のようにおっしゃっています。
リーダーシップの強弱は、“才能”よりも、その土台となっている“欲の強さ”で決まっています。
“慎重さの重力”を突破するのに十分に強い「欲」の対象を見つけること。そして、メンタルをストレスに慣らす覚悟を固めること。
どんな人にも(多かれ少なかれ)欲があり、その欲を満たすための手段としてリーダーシップがある、という意味合いではないかと思います。
人それぞれに明確・明瞭な目的(≒欲)があるとして、その目的を達成させるためには自分一人では成し遂げられない壁があるとします。その壁を乗り越えられるかどうかは欲の強さによるものであるということです。
欲の実現の優先順位が高くなれば、おのずとリーダーシップをスキルとして身につけなければならなくなるため、大きな目的を達成する人にとって、リーダーシップは必須の能力と言えるかもしれません(言わずもがなですが・・・)。
リーダーシップとは外向きの欲
個人の欲を満たす「だけ」であればリーダーシップは必要ないと思います。リーダーシップが必要になる場面は、チームの欲(≒目的)を満たす場面でこそ活きる・活かすべきスキルです。その場合、チーム内で欲(≒目的)をすり合わせ、共通認識とすることが大切になるかと思います。
しかし、現状の欲・目的設定は以下のような状況に陥っています。
ほとんどの会社や部門長が、実は“自分事にならない目的設定”をしていることに気づいてほしいです。それでは人々の目の色を変えることはできません。
落ちてくる目的は、魅力的だったり奮い立ったりするどころか、数値目標で語られた重苦しいノルマでしかないことがほとんどです。したがって、多くの個人にとって、自分自身の内側で完結する目的や夢を考えることはあっても、自分の属する集団を巻き込んだ外向きの目的設定などは、そもそもの発想やそれまでの経験の範疇には全くないことが多いのです。
会社・組織での目的の多くは、目的ではなく“目標”になっていることがよくあります。目的とはモノゴトの最上位概念であり、定量・定性で語られるべき存在のはずなのですが、実際は売上目標を掲げただけのノルマに成り下がっていることもあります。
ではどのように外向きの欲にしていくか?というと、以下のように書かれています。
ではどうやって“外向きの欲”を強化していくのか?「世界に働きかけたら自分の欲しいものを獲れる!」という成功体験を幼少期にどれだけ積んでいるかは、大人になってからの意欲に直結していると思います。
あなたの「欲(≒夢)」を追求する覚悟の強さそのものが、あなたのリーダーシップの“出力”の上限値だと思ってください。
結局は、リーダーが成し遂げたい目的=チーム全員が目指すべき目的としなければならないため、そこは話し合いやリーダー個人の魅力(ついていきたいと思える人間性)が大きな要素となると思いますが、リーダー以下のメンバーがどのように欲を強くするか?欲の出力を高めていくか?については過去の成功体験によるところが大きい、と結論付けています。
研修・教育フェーズの人材の欲をいかに刺激できるか?どのように成功体験を積ませることができるか?は人材育成のポイントだと思っています。
また女性のリーダーシップ(どうして女性のリーダーが男性に比べて少ないのか)についても言及されています。
女性にリーダーシップ経験を積ませる機会が幼少期からずっと極端に少ないからだと私は確信しています。日本は社会構造的・文化的に、女性がリーダーシップ経験を積むこと自体が難しいのです。私はフェミニストではありませんが、日本の未来のために強力なリーダーを生み出す母集団は大きい方が良く、本質的にリーダーシップの才能に男女差はないと考えています。
リーダーシップを発揮できる組織・できない組織とは
上記で定義したリーダーシップ=欲の強さであるとして、どんな組織でリーダーシップを発揮できるのか?(またはできないのか?)については以下の通り言及されています。
相手や立場に関係なく思ったことを積極的に発言できるという特徴は、その特徴を強みとして活かせる環境に入れば「素晴らしい」となるのですが、そうでない環境に入れば「立場もわきまえず秩序を乱す」となってしまいます。そもそもご自身の主軸となっている特徴が有利に働く組織に身を置いて自分の役割を果たすことは、リーダーシップ以前のキャリアの前提として誰にとっても極めて重要です。
自分が勤めている企業や携わっているプロジェクトの規模ではなく、実際に自分が携わる職責のスコープの大きさを重視して職場を選びます。それは、自分自身を強くする経験をくれるのは、企業名でもプロジェクト名でもなく、自分の職能を強くする経験そのものであり、自分の視野を拡げて視座を高くするリーダーシップ経験の蓄積だと確信しているからです。
どんな場所であればリーダーシップ経験を積むことができるのか?リーダーシップが求められるか?を見極めなければ、せっかく善い行いをしたと思っても、組織にとっては「邪魔者」扱いをされてしまうこともあります。現状維持バイアスのかかった組織で欲深いリーダーシップを執り行っても仕方ないですからね、、。
また大きな企業や希望の部署に配属できたとしても、仕事の「部分」だけを最適化するだけの歯車になってしまうだけだと思います。今いる場所は自分の職能の「なにを」高めることができるか?目的に行きつくために本当に有益な場所なのか?を振り返ることが大切だと思います。
私も地方でマーケティングに従事する者として、ニューノーマルが村社会で生き抜くには(同調圧力に殺されないためには)どうするか?というテーマはいつも考えていて、過去にnoteにもまとめてみました。こちらもお時間があるときにぜひ。
リーダーとしてメンバーとの向き合い方
次のフェーズではチームメンバーを欲深くするために、どのようにメンバーと向き合っていくか?をマーケティング視点で解説されています。
その人が何が好きなのか(何に興味がある人なのか)をひらすらよく考えるということです。具体的には、その人が好きなこと(名詞ではなくて動詞)が何なのかを意識しながら、その人とよくよく話し、その人の行動をよくよく観察することで見えてきます。その人ならではの特徴が見えてくるのです。
本人が自分の特徴や強みに気づくことが極めて大切で、そこに気づかせて自信を持たせることが「仏の部分を愛する」ということ、つまりリーダーの役割だと考えているのです。
上記のアクションを行っていくと課題として見えてくるものがあります。それは、他者のモティベーションへの考え方についてです。
私があちこちで、さまざまな表現をしてきた、この大量のもやっとした大人?たちの根底は同じです。それはモティベーションに主体性がないことです。そして、その問題は「教育システム」の問題と、個人に主体性を持たせにくい日本社会の「組織構造」の両方が嚙み合った二重の足枷になっています。
モティベーションに主体性がない場合、まずはマインドセットが必要となります。その後、他者の良い部分(伸ばしたい部分)を見つけ・伸ばしていく、という教育フェーズに入る、というイメージです。
マインドセットを変えるためには、まず、こちらが誠実であることが大切です。誠実であるためには、まず相手に対して言うべきことを冷静かつ明確に伝達します。相手の逃げ癖や言い訳などの、“痛がり屋さん”特有の行動が、組織全体の目的に適わず、どうしても許容できないこと。そして、具体的にどう行動すべきだったのか、そしてそれは目的に照らしてなぜなのか。さらに、そのマインドを変えるとキャリアがどう拓けていき、変えないとどう閉じていくのか、そのあたりも誠実に伝えます。
マインドセットをせず、リーダーの独断と偏見でチームを引っ張ってしまうとどんなことが起こってしまうのか?どんなリスクがあるのか?というと、森岡さんの経験から以下のようなことが起こりうる、と記載されています。
1つはチームメンバーの主体性やヤル気が弱くなっていくこと。もう1つは、私自身では補えない私の苦手領域がそのままチームのボトルネック(成果の限定要因)になってしまうこと。そのやり方だとチームは構造的に、私自身の能力程度にしかアウトプットが出せないのです。
自分を信頼してほしいのであれば、まずは自分から相手を信頼しなくてはならない。人同士の信頼関係の基本中の基本ですが、ここが成立するか否かが、やはりシンプルな核心だと思います。さまざまなやり方はあると思いますが、最終的に「深い信頼関係をお互いにどう築けるか?」ということです。
ではどう伝えていくか?
「どこで戦えばチームが勝てるのか?」「それはなぜなのか?」そして「なぜあなたの力が必要なのか?」。そのシンプルな3つについて、私は私らしく、小手先のことは一切せずに、腹の底で信じていることを、もはや相手を火傷させるほどの熱量でひたすら伝える!そこに集中することを始めたのです。
最後はメンバーを信頼し、本心からの言葉で誠実に伝える、ということですね。小手先でモティベーションを上げたり、自分をよく見せるのではないところに森岡さんの誠実さ・正直さを感じました。
管理職の多くがリーダーシップを使わないのはなぜか?
では数多いる管理職がリーダーシップを使わない(使えない)本質的な理由を以下の通り記載しています。
ここからは個人的に怒涛の共感ラッシュでした。
実は厄介なことに、陣頭で槍を奮うのは楽しいのですよ。自分が得意な領域で気持ち良く問題解決できるのですから、実に楽しい。ピーター・ドラッカーも言っているように、昇進したホワイトカラー管理職の大半は、昇進前に自分が評価されていた役割に最も多くの時間を使い、昇進後に期待される新たな役割をなかなか果たそうとしないのです。
管理職になっても現場が好き!第一線でやりたい!と考え、リーダーシップを放棄してしまう人の本質が↑の文章に凝縮されています。
しかし、リーダーシップを放棄してしまう原因は他にもあります。彼らは人に教えることができない(言語化できない)のです。
森岡さんもリーダーが放棄してしまうことを以下のように記載されています。
それは「一緒にやる」ということを、心底できない人々が多いことです。すべてを部下に丸投げして完全に“放牧”するか、あるいはすべてを自分で抱え込んで部下の仕事を奪ってしまうか、その100と0の両極端を行ったり来たりする人です。私は、丸投げ完全放牧も、丸抱えで全部やることも、その両極端はどちらも間違っていると考えるに至りました。
丸投げ完全放牧の上司は無能であり、しかも無責任です。存在する意味がありません。一方で、完全に部下の仕事を奪う上司も理不尽であり、存在する価値がありません。だから上司の立場にある人は、目的と戦略だけは一緒に知見を加えて、議論の末に決断して明確に縛る。その方向性に沿って、戦術段階では達成すべき期待値を明確に示したうえで、本人に必死で考えさせて飛距離を出させるのです。
ある程度のところまではメンバーと一緒にやる。そうしなければメンバーは育たない。その事実をわかっているけれど実行できない人が驚くほどに多い、ということです。
原因の多くは「面倒くさい」「自分の経験を言語化・形式知化できない」の2つに集約されそうな気がしますが。
リーダーシップとは率先垂範
リーダーシップとはつまるところ、率先垂範である、と結論付けています。では率先垂範とは何か?というと、以下の通り言語化されています。
本来の「率先垂範」の意味するところは、ここで申し上げた「一緒にやる」精神に近いのではないでしょうか?それは、活躍や成長の場を部下から奪うことではなく、部下を支援し、自分の覚悟の所在を明示することで発揮される力ではないでしょうか?現場状況の要点をしっかりと理解したうえで、上司もちゃんと、“同じ船に乗っている”、つまりリスクや苦労を背負う覚悟を部下たちと共有することだと思うのです。
リーダーシップをできるだけシンプルに捉えると、その本質は「人を本気にさせる力」だと私は考えています。人々が達成したくなるワクワクするような未来の完成形を描き出し、それが絵空事ではなく本当に実現できそうだと信じさせる力。そして、その物語の中でその人ならではの特別な役割を演じられると相手に信じさせる力。
一緒に取り組み、同じ船に乗っていると感じさせる力。そして他者を本気にさせる力がリーダーシップである、という解釈です。
一方で、リスクを取らないリーダーの下ではどのようなことが起こるか。
正義感はあってもリスクを取らないリーダーの下では、組織や同僚は職業使命が果たせない「無為」に陥るでしょう。リーダーには、ビジョンだけでなく、その前提にそれが正義か否かの判断と、そして自らが責任を取ってでもやり遂げる覚悟が必要ではないでしょうか。
↑の言葉にもある通り、降りてくる目的を管理するだけのリーダーが率いるチームには使命感もなければやりがいもありません。
リーダー自身が何を想い、何を考え、どんな判断を下し、責任と覚悟を持っているのか?をもっとチーム内に表現することが必要なのだと思っています。
(最後に)本物のマーケティング力を移植する
マーケティングとは戦略を構築「だけ」をしたり、決めた戦術を実行する「だけ」ではないことはもうお分かりだと思います。一気通貫のマーケティングを企業に浸透させることこそが森岡さんの使命である、と。
狭義のマーケティングではなく、一気通貫の本物のマーケティング力を顧客企業に移植する、そんな大型プロジェクトを追うことです。そのために刀は、目先の問題解決ばかりではなく、組織づくり、意思決定システムの構築、マーケティングのトレーニング、評価制度から採用活動まで、「その企業がマーケティングを自走できるようになる」ための、あらゆる支援をします。
戦略だけを売るコンサルや、広告だけを売る代理店は日本にたくさんあります。しかし、戦略から実行するまでの強力なノウハウを一気通貫で提供できるのは刀しかないと、当時のみならず今でも私は確信しています。
私自身も地方にマーケティングを浸透させる、マーケティングを民主化すると偉そうに言っていますが、マーケティングが民主化された状態とは具体的にどんな状態か?その状態になるには何が必要なのか?をもっと真剣に考えなければいけないな、と思いました。今年はより実戦的に、地方×マーケティングに携わっていきたいと思っています。
マグロ釣りの漁師が、マグロが釣れないからといって、アジ釣りで対価をもらうようになったら、もはやマグロ漁師ではなくなってしまうのです。安易な方に心が傾いて生計を立てるようになってしまうからです。
そしてもう1つ気を付けたいのが、自分は何屋なのか?ということ。キャッシュエンジンとなる事業は必要かもしれませんが、そこへのリソース投下が増えてしまうと本当に成し遂げたいことができなくなってしまう。
マグロ漁師はマグロ漁師らしく、安易に儲かる方向に心が傾かないよう注意をしていきたいと思います。
以上!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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