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”強い人”こそレジリエンスが必要な理由

「レジリエンス」ーそう聞いた瞬間「心や気持ちが弱っている時(もしくは人が)、現実に負けないよう切り抜ける為のスキル」を想像する方が多いのではないでしょうか。

確かに、その側面は正しいです。

しかしその結果、多くの人が「自分に必要のない、関係のないもの」と切り捨ててしまっているーこれはとても勿体無いことだと思います。

なぜ、効果的なコミュニケーションの方法や、モチベーションのマネジメントなんて本を読む人が沢山いる一方で、「自分自身をより効率的に稼働させるスキル」そのものへの関心が高くないのか、心底不思議な事です。

レジリエンススキルとは、「自分自身をよりよく稼働させるためのコントロールツール」と言っても過言ではありません。

レジリエンスというのは、ただ弱った状態から回復するためだけの手法ではありません。あらゆる人が「自身の最高・最善のパフォーマンスをより効率的に発揮する」手助けをするための「スキル」なのです。

ポイントは「パフォーマンスの発揮に寄与する」という事と、「スキルである」という事にあります。


「最高・最善のパフォーマンス」とレジリエンス

一般的に、IQの高い人は低い人よりも最終的に成功する傾向にあります。
異論はないでしょう。

しかし、いわゆるテストで測れる知性というのは、人生の成功を決める可能性のある全ての要素のたった20%にも満たないと言われています。〔ハワード・ガードナー/ハーバード大学 〕

さらなる研究によると、IQの高い人は、高い感情的知能(高いレベルでの社会的・認知的能力の総称)を持っており、それを発揮していることが彼らの成功に関係していることが明らかになりました。

レジリエンスとは、まさにこの感情的知能の主要な構成要素です。

レジリエンススキルを身につけていない状態とは、目が悪くなっていることに気づかないまま、手探りで歩き続けているようなものと言えます。周囲の物事を正しく認識できず「歪んだ」状態の中を、これまでの人生で培った想像で補いながら、手探りで進んでいるのです。「歪んだ」状態で捉える世界は、正確ではありません。正確ではない情報に基づいて下す判断も、また然りという事です。

レジリエンススキルは、自身が直面している世界を、そしてその世界に立つあなた自身をはっきりと捉える、レンズのような役割を果たすものと言えます。

レジリエンスとは、自分自身を正しく捉えてコントロールすることで、職場や家庭など人生のあらゆる側面において高い生産性と集中力を発揮させ、適切に周囲の環境に対処することを可能にするスキルなのです。

いくつかのトレーニングを経て、あなたが”実は”直面していた「歪み」に気づいたとき、世界の様相はちょっと変わって映る事でしょう。

少なくとも私自身、このレジリエンストレーニングを通して、いかにこれまでの自分の世界が歪んでいたか、そしてその歪みそのものが自分を苦しめるストレス要因になっていたかを理解しました。もはや、レジリエンススキル、つまりこのレンズなしに生きることは不可能とすら思っている程です。


「スキル」としてのレジリエンス

もう一つの重要なポイントは、レジリエンスが「スキル」であるということです。長年の科学的研究の結果、レジリエンスは、測定が可能で、学んで習得し、トレーニングすることで向上させることが可能であることが分かっています。〔カレン・ライビッチ/ペンシルベニア大学〕

レジリエンスとは「ネガティブなものからポジティブなものへ意識を転換しましょう」といった、精神的努力目標ではありません。これは、始めて習う第二外国語のように、暗算に役立つ九九を覚えるように、正確な知識に基づいてトレーニングをすることで、あなたが世界によりよく対峙することを可能にする「超」具体的なスキルセットなのです。

だからこそ、一つ注意して頂きたいのは、これからお話しするレジリエンスとは、文章を読むだけで勝手に身につくような代物でもなければ、暗記することで即座に発揮できるようになる小手先のテクニックでもありません。日々の暮らしの中で、地道なトレーニングを重ねてあなたの血となり肉となる、「筋肉」のようなものです。

蛇足ではありますが、世界では、このレジリエンスをスキルとして発達させ、人々に役立ててもらうための教育体系が確立され始めています。日本はどうでしょう。資本主義社会で生き抜くために必要な知識・教養を詰め込むのはもう十分。学びの対象を「外」から「内」、つまり「自分自身」へ向けるべき時がきているように感じるのは、私だけでしょうか。


”強い人”こそレジリエンススキルが必要な理由

例えばあなたの周りで、このような信念に突き動かされている人が思い浮かぶでしょうか。

ー男性は人前で感情を見せるべきではない(泣くなんてもってのほか)
ー私はどんな状況でも、周りの人よりも優れた成果を残さねばならない
ー人に助けを求めるのは、責任を放棄するも同じだ

どの考え方も、非常に強いコントロール意識に律されています。
まさに、精神的に”強い人”を象徴するような考え方です。

「自分は強い」と思っている人は、どんな状況でも強い自分であり続けるために、心の奥底に沸き起こる本音や真の感情に蓋をして、気丈に振る舞うことができます。これは、強い精神力で自分を律することができるという、ひとつの能力を意味します。

しかし、その強さの裏っかわには、自分ですら押し殺してきた、植えつけられた / 決めつけられた強固な価値観が根を張っている可能性があります。気丈に振る舞うために、心のホンネに争い続けた結果、自分の心が本当に欲していることを感知する力が鈍ってきてしまっているかもしれない。自分が押し殺してきた気持ちゆえに、他人のその機微に対して必要以上に厳しくなってしまったり、素直に認められずやり過ごしてしまっているかもしれないのです。

強い人こそレジリエンスが必要な理由はここにあります。

これらの思考に伴う「犠牲」について考えてみましょう。
これらの思考は実際、どの程度、具体的に役に立つのでしょうか。無論、特定の領域では、これらの意識に鼓舞され、素晴らしい成果を残すことに繋がっているでしょう。しかし、人生の別の側面においては、これらの強いこだわりが足枷となり、必要以上な負荷となって、あなたのポテンシャルを狭めてしまっている可能性があることに目を向けて見てください。

あなたの心の奥底に眠る価値観を覗き、その存在を認めることは、決して弱さを認めることではありません。レジリエンススキルで行いたいのは、あなたの信念を取り除くことではなく、その存在を知ることで、これまでの信念に基づいた行動をとるか、これまでの自分なら取らなかったかもしれない行動にトライしてみるかという「選択肢」をもてるようになる事なのです。これまで、気づかぬうちにあなたをコントロールしていた思考の存在に気づくことで、あなたを縛り付けていた重しがとれ、もっと浮上して、世界をより高く広い視座で見渡すことができるようになるのです。

レジリエンスのスキルは、逆境に打ちのめされ弱っている人だけのものではありません。サラリーマンも、起業家も、フリーターも、お金持ちも、全ての人に必要なスキルであり、自分がより自分らしく、より生きやすくなる為の、超具体的スキルなのです。


終わりに、そして学びの始まりへ

心理学の父、ジークムント・フロイトは「人格というのはおよそ5才までに構築され、人間が自らの人格を変えることは難しい」と唱えました。しかし、現代科学は「人間は、永続的に、そしてポジティブな方向に変わり続けることができる」ということを証明しています。アーロンベックが生み出した「認知療法」が明らかにした通り、私たち人間は、正しいツールを用いることで、自分の人生に起こしたい変化を産むことができる生き物なのです。

自分自身という、最も身近で、時に最も難解な対立相手となる存在を、自分が導きたい方向に本質的に変化させる手段があるとは、素晴らしいことではないでしょうか。そしてそのスキルへの関心が日本ではまだ低いという事は、世の中的に見れば危機的ではあるものの、あなた個人にとってはものすごいチャンスが開かれた状態でもあるのです。

これから、より具体的にレジリエンスを鍛える方法を、科学的に検証された視点から紹介していきます。その中で、私個人がこの学びを進める最中に出会った、目からウロコが落ちた視点をご紹介します。

「私が生きる世界は、私が作り出している」

こう文字に書落とすと、さも当たり前のことのように聞こえてしまいます。しかし、レジリエントな生き方を手に入れる上で、この考え方は非常に基本的かつ強力な発見でした。レジリエンスを学ぶ上で、この考えがどう効いてくるのか、早速見ていきましょう。


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