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物事の旋律的側面とリズム的側面〜リズムに不思議と感じられる旋律性〜

身体を動かしていると、ふとした瞬間に頭の中に言葉が降りてきます。

「物事には旋律的側面と、リズム的側面がある。それも一体不可分に。」

なぜそう思ったのか。

「万物はたえず変化し続けている(諸行無常・生々流転)」を起点にすると、変化しているということは、状態として「変化する前」と「変化した後」があります。

変化には規則的な変化もあれば、不規則な変化もあります。規則的な変化は一般に予測しやすく、不規則な変化は予測が難しい。但し、予測しやすいとはいえ、未来は多かれ少なかれ不確実で、不確定。予測したとおりの状態が実現することを保証するわけではありません。

自分事として考えてみると、たえず変化し続けている実感を伴うのは「身体」であり、事象の一つは「呼吸」です。自分の身体の内側で起こっている細胞レベルのミクロな変化を認識することは極めて難しいですが、呼吸していることは実感できます。

呼吸は「吐く・吸う」というパターンの繰り返しです。呼吸にも深い呼吸、浅い呼吸があり、すなわち強弱があります。ゆったりした呼吸、速い呼吸、すなわちリズム(ペース)があります。そして、呼吸の音にも高低があり、高く響くこともあれば、低く響くこともあります。

そして、呼吸は大きく捉えると規則的でありながら、細部では呼吸の長さも量も高さも異なります。すると、呼吸はどこか音楽的に感じられてきます。

音楽を構成する要素は様々ありますが、大枠として旋律(音階や調性、音のつながり方など)、リズムの組み合わせで構成されている。

リズムの根幹にあるのは「区切り・仕切り」です。情報を伝える手段としてのモールス信号も「区切り」によるリズム・パターンに意味が現れます。

音楽も音の高さを一定に保ったまま、リズムを変化させていくと、音の高さを変えていなくとも「旋律的に」感じられてきます。

つまり、あらゆる物事にはリズムがあり、リズムには一体不可分な旋律的な側面がある。というのが、冒頭に記した直感的な言葉の深層だと、振り返りながら紐解いてみました。

そして、生物であることの条件の一つに「膜」で外界と仕切られていることがあることを思えば、区切ること・仕切ることには「生命の萌芽」が内在しているのだと思います。

生物とは何か。その問いに答えることは難しい。なぜなら、現在の私たちは、地球の生物しか知らないからだ。将来、地球外生命体が発見されるかもしれない。そうすると私たちの知識は広がり、「生物とは何か」に対する答えは変わるはずだ。(中略)それでは現在の知識では、生物とはどのようなものだと考えられているのだろうか。多くの生物学者が認めている生物の定義とは、以下の三つの条件を満たすものである。

(一)外界と膜で仕切られている。
(二)代謝(物質やエネルギーの流れ)を行う。
(三)自分の複製を作る。


意外と簡単な定義である。こんなもので生物が定義できるのは不思議な気がする。しかし、今のところ、この三つの条件をすべて持っているものは、生物しかいないのだ。

更科功『若い読者に贈る美しい生物学講義 感動する生命のはなし』

さて、どうして生物は、膜で外界と仕切られる必要があるのだろうか。(二)の代謝を行ったり、(三)の複製を作ったりするには、いろいろな化学反応が必要だ。膜で仕切られた内部なら、反応物質の濃度を高めることができるので、いろいろな化学反応を効率的に行うことができる。したがって、代謝や複製のためには、膜で仕切られた内部が理想的な環境なのだろう。

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