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生命はデジタルでできている?(デジタルという言葉の奥行きを探りたい)

「デジタル」という言葉を耳にしない日はないのではないだろうか。本当のところ「デジタル」が何を意味するのか。分かるようで分からなくとも、なんとなくのイメージでデジタルという言葉を使えてしまう。

最近『生命はデジタルできている 情報から見た新しい生命像』という書籍を読み進めているのだけれど、タイトルからして何とも言えぬ魅力に満ちあふれている。

生命という言葉から何を思い浮かべるだろうか。たとえば、何かの生物、有機物を想像するのではないだろうか。一方、デジタルという言葉はどこか機械っぽいというか、無機的な何かを想像させる気がする。本書のタイトルは「有機と無機が共存している」印象を抱かせるのであるが、この印象は驚きを与えてくれた。

「生命はデジタルでできている」というテーマを深掘りすることで「デジタル」という言葉の奥行きを測り知るとともに、デジタルという言葉にみずみずしさを感じられるようになるのではないか。そのような期待を胸に本書を読み進め、途中途中で感じた新鮮さを分かちあいたい。

さて、本書の冒頭で紹介されている、筆者の主張を支えるメッセージをいくつか引用したい。

そのために、本書ではDIGIOMEという造語を導入した。DIGIOMEとは何か?それは、デジタル情報処理系としてゲノムを捉える考え方だ。ゲノムを構成するDNAが、ゲノム情報という意味で、我々生命の設計図たる情報を担っていることは、ワトソン=クリックによるDNAの二重螺旋構造の発見の頃から知られていた。だが、本書ではそこを一歩踏み込んで、ゲノム自体をデジタル情報処理装置として捉える見方を提案した。

そもそも「ゲノム」とは何だろうか。一言で言えば「遺伝情報」である。genomeという言葉を分解すると「gene+ome」となる。geneは文字どおり遺伝子であり、omeとは「集合」を意味する。つまり、genomeとは「遺伝子の集まり」であり、生物を構成する遺伝子全体を表している。

ゲノム、つまり「遺伝子の集合体」をデジタル情報処理装置として捉えるとは一体どういうことなのだろう??この問いはじつに興味深いのだけれど、まずはこの問いに出会えた瞬間の高揚感のようなものを分かちあえたらと思う。

我々人類が、デジタル情報処理装置の恩恵を日常的に享受できるようになったのは、わずかにここ数十年のことに過ぎない。だが、生命体はそのそもそもの誕生時からこの高度なデジタル情報処理系の恩恵を享受してきた。周知のように、我々人類がデジタル情報処理装置の恩恵を享受するには、高性能ながら安価な情報処理装置(たとえば、スマホ)の発明が必須だった。生命体はそのような精密な情報処理装置を持っていないにもかかわらず、ゲノムをデジタル情報処理装置として機能させることに成功してきた。本書で語りたいのは、なぜ、そんな奇跡のようなことが可能だったのか、ということだ。

生命体そのものがじつは「デジタル情報処理装置」なのだということ。そのメッセージがとても新鮮に感じられる。自分自身がデジタル情報を処理している(しかもそれは無意識的に)。「デジタルって一体何なのだろう?」とデジタルという言葉を自分事に引き寄せて考えるきっかけができた。

「生命体がデジタル情報を処理しているとは一体どういうことか?」

デジタルという言葉に抱いていた固定観念のようなものが、さらりと融け始めた。

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