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いつの日も 心があってほしい

 多くの教えは空を説く。欲望という名前の心の動きを払いのけた場所にあるものが空なのだと。
 空は消えもしなければ増えもしない。無いとも言えるしあるとも言える。
 なんて禅問答そのままで、僕も昨年まではスキンヘッドにして出家スレスレまで自分を追い込んだこともあった。

 そうやって、何もいらないと嘯くように暮らしていたけれど、あるとき不意に気付かされた思いがあった。確かに空は素晴らしく、足るを知るも素晴らしい。
 求めすぎる姿はみっともなくも映る。人生に対して求める報酬に値する何かを差し出していない場合には、なおさらそう見える。

 心を亡くして忙しいと書くけれど、人々はやるべきことを後回しにしているのに忙しい。求めちゃいけない、と言いながら他者を羨み、人のことは責めまくる。
 信念をもつ人の前にさえ、無用の意見をたくさん抱えて現れる。

 時代の流れに流されてはいけない。

 空は確かに我を解き放った場所にあるのかもしれないけれど、信念こそが、成し遂げたい思いこそが自分自身であって、成し遂げたいことが人生になくなってしまえば、それはさみしい一枚の枯葉だ。

 自分の中にいるもう一人の自分。楽しく生きたい。世の中のお役に立ちたい。報酬以上の仕事をしたいと燃えたぎる気持ちを持つその魂は、いつだって僕たちのことを隣で見つめている。待っている。

 そう。いつのときも、世の中に対して与えるものに対して報酬は計算される。だから僕たちは欲しい報酬に見合う代償を生み出し続けるだけでいい。 
 それはアイデアであることもあれば、おなじ志を持つ協力体制による大きな力であることもある。単純に美味しいパンが焼ければ、パンを買いたいという誰かからの報酬が与えられる。
 世の中に対してこれを成し遂げたいという想いは、必ずどこかで誰かの生活を救う。
 それを、溢れ出すような信念をサポートし牽引するのが。もう一人のたくましい自分。信念。熱意。執念。

 だからこんな文章だって、僕は自分でこの文章に価値を認めている。あなたに届くとわかっている。

 熱意ある信念と行動に対して、差し出す重さと価値に対して報酬は与えられる。

 時代の波に流されてしまわないように、仏教では良しとしない執念を、僕は持ち続けようと決めている。


 Makoto ATOZI














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