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引き算するクリスマス、って言う話です。

いまやクリスマスは普遍的に祝われるイベントになっているよね。。。

お寺のお坊さんが本堂にツリーを飾って12月24日にチキンとケーキでお祝いするところがあると聞いて、この普遍っぷり、スゲーなー、と思った。

逆に、牧師が教会の前にツリーを飾り付けていたら、見かけた通行人が「最近はキリスト教もクリスマスをやるんですねー」って声かけしてきて、ズコーって文字通りずっこけた、という話もあるらしく。。。

クリスマスのキモであるイエスを置いてけぼりするほどの普遍化ぶりではある。。。

今日の聖書の言葉。

水が海を覆うように 大地は主の栄光の知識で満たされる。
ハバクク書 2:14 新共同訳

イエスをほんとうに知るには、あれも・これも・どれもそろっているクリスマスっていうのは、かえって、邪魔になるのかもしれないねー。。。

そこで、自分は今年、「引き算のクリスマス」っていうパワーワードを考案してみた。。。

いや、パワーワードってほどのパワーもないけれど。。。

どういうコンセプトか、って言うと。。。

世界で最初のクリスマスの光景がルカによる福音書2:1-20に描かれている。

それは、ツリーもサンタもケーキも電飾もチキンもない、ないないづくしのクリスマスだ。

あるものと言ったら、馬小屋と飼い葉おけしかないんだもん。。。

しかし、ないないづくしのその場所に、あるものは、あった。

あったもの。それが「信仰」だ。

マリアは、「主のお言葉どおりこの身になりますように」と言って、人類の救い主の母となることを受け入れた、信仰によって。

ヨセフは、いいなづけのマリアが結婚前に身ごもってしまうという事態を引き受けて、母子の保護者となった、信仰によって。

羊かいたちは、天使から告げられたメッセージを素直に受け入れて、赤ちゃんイエスさまを探しに駆け出した、信仰によって。

だから、ないないづくしで、ほんとうになんにもなかったんだけれど、あるものは、あった。ひとびとの信仰だ。

その信仰の真ん中に、イエスが生まれたんだ。

永遠・普遍・無限・絶対・遍在・全能・全知である「神」は、ユダヤのベツレヘムの馬小屋の飼い葉おけのワラの上に赤ん坊となって降り立ってくれた。それがイエスだ。。。ということを、自分は文字通り信じているんだけれど。。。

今年のクリスマスも疫病への警戒のために、まだまだ以前のようには祝うことができない。大人数の礼拝も、食事を囲んでの祝会も、ためらわれる。。。

。。。もうちょっとの我慢だ、と言い聞かせながら、ここがみんなのこらえドキだよね。。。

しかし、たとえブラスバンドも、唱歌隊も、ツリーも、サンタも、ケーキも、電飾も、チキンもない、ないないづくしのクリスマスであるとしても。。。ほんとのほんとに、なんにもないクリスマスだとしても。。。もし、そこに信じるココロがあるならば。。。それは、世界で最初のクリスマスと完全に同一の条件が整っていることになるんだよね。。。

そして、その信仰の真ん中に、救い主イエスは来てくれる。

そうであるならば、今年のクリスマスは、世界で最高のクリスマスになってしまうはずなのだ。あの、世界で最初のクリスマスと同じように。

イエスの誕生
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
ルカによる福音書 2:1-20 新共同訳

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