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この疫病から、どんな良い物が期待できるのか、っていう話です。

疫病の流行もいよいよ収まりかけて来たかなあ。。。

これでいろんなことがまた出来るようになるかなあ。。。

。。。と期待していたところへ、世界各地で変異株が爆発的に流行。。。

まあ、この疫病、そんなに簡単に行くものじゃあない、って思ってはいたけれど。。。

でも、ほんと、心がくじけそうになるよ。

こういうときは自暴自棄にならずに、祈るしかないよね。。。

祈ろう。祈ろう。祈って忍耐しよう。。。

今日の聖書の言葉。

二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。
マタイによる福音書 18:20 新共同訳

人類の歴史の中で、疫病の流行は過去に何度も起きたわけだけど。。。

その都度、社会の在り方は疫病に対応する形で変化して来た。

それはまた、信仰の在り方にも大きな影響を与えたと思うんだ。

たとえば中世後期のペストの流行では男性の方が多く死んだ。

なんでだろう。。。たぶん生物学的に男性の方が弱いから?

なので、大量に未亡人が発生する結果となってしまった。

しかし、そういう未亡人を支える仕組みが当時の社会には存在しなかった。

そこで、未亡人たちは自発的に集まり、一緒に住み、祈り合い、助け合いながら生活することにした。

こうして生まれた共同体は、半修道院的な「ベギンホフ」と呼ばれ、ヨーロッパ各地に作られたんだ。

なんで「半」修道院的かと言うと、それは、祈りと奉仕を中心に回る共同生活だから修道院的なんだけれど。。。

でも、未亡人たちは再婚相手が見つかればベギンホフを出て普通の生活に戻ることができた。

この点が、厳粛な誓願を立てて修道生活に入ったら死ぬまで独身という、いわゆる修道院とは大きく違う。だから「半」なんだ。

祈りという接着剤で結ばれた共助のコミュニティとしてのベギンホフ。それは、社会的なセーフティーネットとして機能した。

だから、ロケーションについても、いわゆる修道院が郊外や山の上に拠点を構えたのとは違って、町の真ん中に作られた。

それは、一軒家を借りて数人が住むタイプから、軒を連ねた十数軒を外観はそのままに内側をぶちぬきにして何十人も生活するタイプまで、いろいろあった。

そうやって、彼女たちは社会生活を続行したんだ。

家も、夫も、生活も失った未亡人たち。。。でも、一冊の聖書を囲み、それを読み、祈り、励まし合い、助け合って生き始めた時、彼女たちは「新しい主体性」を獲得して、生き生きと輝いていった。

そして、彼女たちの姿は、男性の生き方まで変えたんだ!

彼女たちの生き方に影響を受けた男性たちは、それに倣うように「共同生活の兄弟団」や「神の友」と呼ばれるコミュニティを作って、それがライン川の下流地域に広がって行った。

ベギンホフ、共同生活の兄弟団、神の友、その関りからタウラー、フローテ、トマス・ア・ケンピス、『ドイツ神学』を書いた匿名の修道士、エラスムスなどが現れ、やがてそれは「新しい信仰」(Devotio Moderna)と呼ばれる流れとなって、宗教改革という新しいチャプターを開いたんだ。

そのスピリチュアリティの特徴は、自分を取り巻く状況がどんなに絶望的でも、二人または三人が一緒に集まって、一冊の開かれた聖書を囲み、祈りによって神と直接つながり、手をたずさえて生きる、というスタイルにあるんじゃないかと思う。

二人または三人が
わたしの名によって集まるところには
わたしもその中にいるのである

ペスト禍の中で人間に主体性を取り戻させたこういうスタイルは、きっと、ウィズコロナ時代にも新しい形となって出現して来るに違いない。。。

そう自分は信じもし、期待もしている。

※トップの写真はオランダ・ルーヴェンにあるグルート・ベギンホフ(Groot Begijnhof)だ。ユネスコの世界遺産に指定されている(by Wikipedia)


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