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悲しみと祈りって、間一髪の差だよね、っていう話です。

この世の中に取り消し不可能なものって、何個ぐらいあるだろう?

入れ墨は一度入れると消せないけれど、レーザーとか使えばある程度は消せるし。。。

結婚は永遠の愛を誓いながらも、うまくいかなかったという理由で離婚することがあるから、そういう意味では取り消し可能だし。。。

そうなると、ほんとうに取り消し不可能なものと言ったら、手紙を郵便ポストに投函することぐらいかもしれないねー。

今日の聖書の言葉。

神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。
コリントの信徒への手紙二 7:10 新共同訳

すべてのものがうつろいゆく世界。永遠に変わらないものなんて、ほとんど無い。。。

永遠の愛の誓いだって時間と共に消えていく。だから入れ墨で入れた愛する人の名前を消さなきゃならなくなったりするわけで。。。

だけど、今日の聖書の言葉は「取り消されることのない救い」があることを示している。

永遠に取り消されることのない救い。。。

そんなものがこの世界にあるなんて、ちょっと信じがたいんだけれど。。。

でも、神の本にそう書いてあるんだから、ほんとうにあるんだろう。

神が神として「取り消さない」って宣言するんなら、それは必ずそうなるよね。だって神だもん。。。

どうしたら、その「取り消されることのない救い」に自分はあずかることができるんだろうか?

おもしろいことに、悲しむことからそれは始まる、って聖書は言っている。

神の御心に適った悲しみは
取り消されることのない救いに通じる
悔い改めを生じさせる

罪深い自分の現実を見れば見るほど、死にたいほど絶望的な気持ちになるけれど。。。

そこで完全に絶望してしまったら、ほんと、もう死ぬしかないよね。

でも、そんな自分のために、イエスにおける「神」は十字架にかかり、三日目に復活してくれた。

そう信じることが出来るならば。。。

その瞬間「悲しみと絶望」は「取り消されることのない救い」に転換されるんだ。

そういうことを考えると「取り消されることのない救い」と「悲しみと絶望」とのあいだの差って、ほんのわずかだよね。

それこそ髪の毛一本ほどの差しかないんじゃないかとすら思ってしまう。

その髪の毛一本分というのは、悲しみと絶望のなかで叫ぶ、この祈りだと思う。

主イエス・キリスト、神の子、救い主
罪人つみびとであるわたしを、あわれんでください!

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