原子力ナイフより鋭い万能ナイフが切り分ける世界の実相は何か、っていう話です。
SF少年の魂を魅了してやまないパワーワードって、あるよね。
自分の場合、アイザック・アシモフの作品に出て来る「原子力ナイフ」が、それ。
原子力ナイフ? なんじゃ、そりゃー!? って感じだけど。。。
自分が子どもだった 1970年代は、インターネットで検索して答えを見つける、なんてできなかった。
せいぜい高円寺図書館の書架のあいだを行ったり来たりするぐらいで。。。
1978年にSFファン雑誌『スターログ日本版』が創刊されて、ようやく手がかりを得られそうに感じた。。。
でも、毎号愛読してても、原子力ナイフの解説は見つけられなかった。。。
もしかして、買いそびれた号に載ってたのかもしれないけれど。。。
きっと、すげーエンジニアリングで駆動する、あらゆるものを切り裂く万能ナイフなんだろなあ、と想像をふくらませるしかなかった。
しかしね。。。
考えてみれば、ごく普通のナイフだって、見ようによっては原子力ナイフなのかもしれない、って思う。
だってさ。。。台所の引き出しにある果物ナイフだって、その「固さ」がどこから来てるか、ってことをつきつめると、ナイフを構成する原子と原子のあいだの力から来ているわけであって。。。
それをつづめて言えば、つまり、原子力だろう、っていう。。。
今日の聖書の言葉。
神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。
ヘブライ人への手紙 4:12 新共同訳
この世界のあらゆるものを切り裂く万能ナイフが、もし、あるとして。。。
「もの」を切って、切って、切り分け続けて、どこまで切り分けられるか、って言うと。。。
それは、もうこれ以上切り分けられない、という究極の素粒子に到るんだ。
どんな万能ナイフでも、切り分けられない、究極の素粒子。。。
それは、どんな素粒子か、と言うと、材質もない。構造もない。ただ「ある」か「ない」か、どちらかの属性しかない。そういう存在であるらしい。。。
ある、か、ない、か、だから、オンとオフのデジタル的な感じがするよね。
われわれが見ている世界も、われわれのココロの情感(クオリア)も、万能ナイフでその正体を見極めようとすれば、オンとオフしかないデジタル的な存在に還元されちゃうという。。。
それにしても、不思議だね。
ある、か、ない、か、どちらかしかない究極の素粒子は、どういうわけだか、異常に「ある」だけの方に偏って、偏り続けることで、この世界も、自分のココロの情感も、出来しているわけだから。。。
そんなふうに異常に偏り続けているのは、やっぱり、意図的に偏らせ続けているメタな存在。。。現象界を超越した存在。。。「神」がいる、っていうことなんじゃないだろうか。。。
聖書も、こう言っているし。。。
世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。
ローマの信徒への手紙 1:20 新共同訳
被造物を通して現れている「神の性質」って、ナンジャラホイ、って思うけど。。。
極論すれば、あらゆる被造物に共通していて、かつ、被造物を被造物たらしめている属性って、それが「ある」ってことなんじゃないかと思う。
だってさ。。。もし「ない」だったら、なにもないわけで。。。
ないんだったら、なんで、ないのか、なんて、考える必要もないわけだし。。。
あらゆるものが、ある。
それは、ある、か、ない、かの属性しか持たない究極の素粒子が、どういうわけだか異常に「ある」に偏り続けることによって、あらゆる、あるとなって出来している、ってことなんじゃないか、と想像してみる。。。
その想像のカーテンを原子力ナイフで切り分けるかのようにして、モーセの前に姿をあらわした「神」は、神自らのことを、こう呼んだ。
わたしはある。わたしはあるという者だ *
その「神」が、いまや、原子力ナイフよりも切れ味が鋭いスピリチュアルなナイフで、自分のココロを切り分けようとして来る。
神の言葉は生きており、力を発揮し
どんな両刃の剣よりも鋭く
精神と霊、関節と骨髄とを
切り離すほどに刺し通して
心の思いや考えを見分けることができるからです
神のナイフは、自分のココロを切り分けて、切り分けて、切り分けて、ついに、もうそれ以上、切り分けられない地点まで来る。
それは、ある、か、ない、か、という地点だ。
信仰がある、か、信仰がない、か、という地点。。。
自分の抱えている、いろんな問題も、つきつめて行けば、ここに来るんじゃないかと思う。
信じるのか、信じないのか、どちらを選ぶのか?
もし、そこで、ない、ない、ない、ない、の連続コンボを選ぶとしたら、ちょうど宇宙がそうであるように、自分のココロの情感も、「ない」になって行くんだろう。。。
でも、あえて、ある、ある、ある、ある、の連続コンボを選ぶとしたら、ちょうど宇宙がそうであるように、自分のココロの情感も、「ある」になるに違いないんだ。。。
信仰によって生きる人々は
信仰の人アブラハムと共に祝福されています **
それは、初めから終わりまで
信仰を通して実現されるのです ***
註)
* Cf. 出エジプト 3:14
** Cf. ガラテヤ 3:9
*** Cf. ローマ 1:17
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