見出し画像

裏の顔と表の顔。いったいどっちが優位になってるの? っていう話です。

自分は常日頃から裏表のない人間になりたいものだと思っている。

なので、そのために祈りもし努力もしているのだけれど。。。

でも、なかなかむづかしいものだね。

このひとバカだなあと思いながら、面と向かって「あなたバカですね!」と言ってしまう正直さというのは身も蓋も無いけれど。。。

でも、心のなかでバカだなあと思いながら「とてもユニークですね!」と言うとしたら、それは偽善なのか優しさなのか単に社会人なのか。。。

自分が目標としているのは、腹のなかでこのひと本当にユニークだなあと感心しながら「すごいですね!」って目をキラキラさせて言えるクリーンな正直さだ。

。。。と言いつつ、すごい無理ゲー感を感じるけれど(笑)

今日の聖書の言葉。

口は脂肪よりも滑らかに語るが 心には闘いの思いを抱き 言葉は香油よりも優しいが、抜き身の剣に等しい。
詩編 55:22 新共同訳

インターネットが普及し始めた1995年ぐらいから誰でも匿名で好きな発言ができるようになったわけだけど。。。

そのおかげなのか悪弊なのか、匿名アカウントが多数を占めるSNSはスッゴイ殺伐とした雰囲気になっているよね。

心に闘いの思いを抱きながら、それを未加工のままSNSに流して相手を叩くとか。。。

ナイフのような言葉をフィルターをかけずに相手へのメンション付きで投稿するとか。。。

これって、考えていることを小細工せずに表に出してるわけだから、匿名という仮面を別にすれば、裏も表もないのかもしれない。

そういう意味では人格としては統合されているのかもしれないねー。

でも。。。

問題は、じゃあ、実名の時の自分の発言(それが表だ)と、匿名の時の自分の発言(それが裏だ)の間に、相違や矛盾が無いかって言うと、そりゃあ全然違いがあるわけで。。。

だから、やっぱり裏表はあるんだよね。

今日の聖書の言葉は、匿名で発言するなんて物理的にも技術的にも不可能だった古代世界を背景にしている。そういう意味では、現代と比べたら特殊な状況だよね。

口は脂肪よりも滑らかに語るが
心には闘いの思いを抱き
言葉は香油よりも優しいが
抜き身の剣に等しい

そこで問題とされているのは裏の顔と表の顔の乖離だけれど。。。

優しい言葉の裏にある憎しみ。。。聞こえの良い発言に仕込まれた毒。。。

善人の仮面をつけながら、その下で憎悪の炎を燃やし、にっこり微笑んで握手しながら、反対の手で相手の腹を刺す、みたいなやりとり。。。

これって、自分と相手が対面でしか物が言えない世界だからこそ成り立つ芸当なのかもしれない。

いまの時代は違うよね。

匿名アカウントという人格を駆使すれば、自分の内なる憎悪を体現したパースンとして「表」に立つことが可能なのだ。

過去に自分も匿名アカウントを使ったことがあるんだけれど。。。

匿名アカウントだと、たしかに素の自分では言えないようなことも言えてしまう。。。

それは、怖いというより一種のカタルシスを感じる経験だった。だから、どんどんエスカレートしてしまうのかもしれないね。。。

じゃあ、実名の自分が本当の自分で、匿名の自分は演じている自分なのか、と言ったら。。。

そうでもないんだ。

匿名の自分の人格も、実名の自分の人格も、どちらも、ほんとうの自分じゃないかと思うんだよね。

そして、真にオソロシイと思うのは、人生の終着点、あるいは、宇宙の終着点において、それらが統合されてひとつになる、ってことなんだ。

もし、匿名の自分の人格(裏の顔)が肥大化していて、実名の自分の人格(表の顔)は小さな存在になっていたら、統合された結果そこに残るのは、巨大な裏の顔だけ、ということになる。そして、それでもって「永遠」を過ごすことになるんだ。。。

その統合の瞬間をC.S. ルイスは神学的SF三部作の第三巻『サルカンドラ~いまわしき砦の戦い』(1945) で描写しているんだけど。。。

それは、最後の瞬間の状態を永遠が受け取って固定した、という表現になっている。

そのラインを読んでからというもの、自分はいつも人生の最後の瞬間を考えずにはいられないんだ。

その時になったら、表の顔と裏の顔と、いったい、どっちが優位を占めているんだろう?

もし憎悪をたぎらせている自分が優位な状態になっていて、それをそのまま永遠が受け取ったら、どうなるんだろう?

ここから自分は、最初に言った目標を抱くようになったんだ。

それが、裏も表もない人間になること。クリーンな正直さを生きる、ということだ。

今日の聖書の言葉をその線でアレンジするとしたら、こんな感じだろうか。

口は脂肪よりも滑らかに語るが
心の中はもっと滑らか
言葉は香油よりも優しいが
心の中はもっと優しい

そんな人間に自分はなりたい。

なぜなら、その状態で永遠を過ごすことになるのだから。

そして、そういうふうになるのは、自力では不可能なんだよね。だから、自分にはイエスが必要だ、っていうことになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?