自分に平穏な人生はあと何年残されているかを計算する式を立ててみるにあたって。。。
人生、あきらめちゃだめ、って、よく言われるけど。。。
でも、「これはもう、だめかもしれんねー」っていう言葉が、ため息と共に出てしまう日も、あるよね。
今日の聖書の言葉。
希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。
ローマの信徒への手紙 15:13 新共同訳
「これはもう、だめかもしれんねー」が出るのは、あらゆる希望的観測がつぶれて、八方ふさがりの状況になった時だ。
自分は今年 56歳になる。
日本人男性の平均寿命が 84.41歳なので、何事もなければあと 28年は生きられることになる。。。生きられるかもしれない。。。生きられると期待する。。。運よくもう一年いけば 2050年の世界を目にできるかもしれないねー。
で、残された 28年で、あと何回ぐらい「これはもう、だめかもしれんねー」を自分は言うことになるのか。。。
まあ、10回ぐらいあるかな、と仮定して、1回につき思い悩む期間を 6か月と見積もるならば、合計 60か月。つまり、5年間は「悩み」がある、ってことになる。
だから、差し引き 23年は、心穏やかに過ごせるかもしれない。。。
しかし、自分はクリスチャンなので、ここで、もう一個の要素を考慮に入れなきゃならないことになるんだ。
というのは、イエスが十字架にかかり復活してくれたおかげで、人類の罪は赦され、永遠の命があたえられ、結果、墓のこちら側と墓の向こう側がシームレスに接続された「あたらしい時代」が到来している、と自分は考えているからだ。
その証拠となる聖句が、これ。
兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。 イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
テサロニケの信徒への手紙一 4:13-14 新共同訳
イエスは復活した。それだけじゃない。イエスが復活したという「神の事実」にもとづいて、全人類もまた復活することになる、と新約聖書は宣言しているんだ。
イエスが復活した=全人類が復活する=自分も復活する、ということを考慮に入れて考えてみた場合。
さっきの、残りの人生 28年~マイナス 悩みの期間 5年~イコール 平穏な人生 23年、という計算は、次のように修正しなきゃいけないことになる。
墓のこちら側の人生 28年~マイナス 悩みの期間 5年~プラス 墓のあちら側の人生 無限年~イコール 平穏な人生 無限年、というふうになるんだ。
そうなると、自分にとっての希望はやっぱり、イエスの復活。これこそが「最大の希望」だ、ってことになる。
じゃあ、復活したあと、われわれは具体的にどうなるのよ? ってことなんだけど。。。
これについては、神学的な想像にもとづいたフィクション(セオロジカル・フィクション)を書いているので、こちらをどうぞ。
なので、墓のこちら側で、あと何回「これはもう、だめかもしれんねー」を言うかは、わからないけど、その都度、こういうふうに自分で自分の発言を補正したいと思う。
これもう、だめかもしれんねー
でも、キリストはよみがえられた
だから、まあ、なんとかなるか
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