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不安な時代に平安を経験するには?

ニュースを見ても、SNSのタイムラインを見ても、YouTubeを見ても、不安な気持ちにさせる情報ばっかり。。。

なのでねー。。。もう、ジョン・ウェスレーみたいに「Homo unius libri」になろうか、と。これはラテン語で「一書の人」という意味。

一書の人。。。生きて行くうえでの情報源として、オレはもう聖書しか読まない、という究極の生き方。。。

だけど、ウェスレーは生涯にわたって、あらゆるジャンルの本を読み続けた多読家だったから、聖書しか読まなかった、と言えば、嘘になるよね。。。

まあ、こういうことか。。。ありとあらゆる情報源に触れながら、最終的に自分の心のよりどころとするのは、聖書だけだよ、と。

今日の聖書の言葉。

そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピの信徒への手紙 4:7 新共同訳

いろんな情報源に触れ、そして、聖書を読む。。。

だけれど、たまたま開いたページが黙示録で、出て来るのが、死の疫病、巨大隕石、人面イナゴ、四億の軍隊、みたいな、おっかないオンパレードだったら、いよいよ恐ろしくなるので、「そっ閉じ」するしか、ないよね。。。

だから、ほんとうに欲しいと思うのが、今日の聖書が言ってる「人知を超える神の平安」だ。

その平安を、どうしたら得られるんだろう?

今日の聖書の箇所の直前では、こう言ってる。

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。 そうすれば…
フィリピの信徒への手紙 4:4-7 新共同訳

いろいろやったうえでの「そうすれば」平安があたえられます、ということ。

じゃあ、どういう、いろいろ、が必要なのか? 上記の聖書を整理してみると。。。

1.いつでも「よろこぶ」という姿勢で
2.すべての人に「広い心」を示そう
3.思い煩いをきっぱり「やめる」こと
4.どんなことにも「感謝の祈り」をささげよう
5.願っていること・求めていることをなんでも神に「打ち明ける」

これが、人知を超えた神の平安を経験するのに必要な、心の持ち方だ。

ところで、これとは真逆をやったら、どういう効果があるんだろうね?

1.いつでも不平と不満と愚痴を忘れず
2.すべての人を隙あらば攻撃し
3.心配の種が切れないよう不安な材料を探し続け
4.どんなことにも「もう駄目だ」「終わりだ」「絶望だ」と唱え
5.自分のほんとうの心の願いや求めを心の奥底にひた隠して生きる

。。。というふうにすれば、人知を超えた神の平安の対極にある、どこにもありふれた人間の恐怖と不安、を経験できることになる。

これって。。。なんか。。。自分。。。。ちょっと油断すると、SNSとかで、やりかねないことばっかり。。。だよね。。。

いつでも「よろこぶ」という姿勢で、すべての人に「広い心」を示しながら、思い煩いをきっぱり「やめる」と決意し、どんなことにも「感謝の祈り」をささげ、願っていること・求めていることをなんでも神に「打ち明ける」という生き方をすることで、人知を超えた神の平安を享受する。

こんな非合理的なこと、できるかよ? と思ってしまわないわけでもないんだけど。。。でも、けっして不可能ではないと思う。

イエス・キリストは、失敗だらけの自分の代わりに十字架にかかって、三日目によみがえってくれた。だから、自分は赦され、永遠の命をあたえられ、復活のキリストといっしょに、地上でも天国でも、生きることができる。。。そう信じることができたら、非合理的と思われることが、とたんに、合理的に感じられるんじゃないかと思う。

だって、イエスが死んで、よみがえったから、自分は赦されて、永遠の命をあたえられている、というんだよ?

よろこばない理由、狭い心でいる理由、思い煩いを捨てない理由、感謝して祈らない理由、求めや願いを神に言わない理由が、無いじゃない?

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