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地球上に本当にゲットしているヤツがいるのか?と思うほどの超絶激レア・アイテムをゲットするイベント開放中。。。

ゲームの世界には「激レア・アイテム」と呼ばれるものがある。

単に入手困難なら、レア・アイテムだけど、ほんとのほんとに手に入らない・いったい手に入れてるヤツなんているのか・実は存在しないんじゃないか、とまで言われるレベルのものが、激レア・アイテムだ。

激レア・アイテムとして知られるのが、『ファンタシースターオンライン』(2012) に登場する強力な武器、サイコウォンド。

どれぐらい激レアかと言うと、入手できる確率が 595万分の1だという。

放送作家の古永家啓輔氏によれば「サイコウォンドは性能もトップクラスに高い武器。しかしその確率から、持っているだけでチートを疑われるアイテムでした。果たして、正攻法のドロップで手に入れた人は地球上に存在するのでしょうか?」だって。。。

手に入れたヤツが地球上に実在するかどうかすら疑わしいレベルの激レア度。

そんなの、あるんだ。。。

今日の聖書の言葉。

だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
マタイによる福音書 7:8 新共同訳

聖書には、「神」が人間にあたえる、いろんなアイテムが登場する。

なかでも、激レア・アイテムと呼ぶしかないのが「聖霊」じゃないのかなー、と思う。

聖霊は、聖書の原語のヘブライ語ではカドーシュ・ルーアハと呼ばれ、その正体は「神の霊」だ。

創世記の冒頭を読むと、神は、神の霊と、神の言葉を使って、世界を創造したことがわかる。

つまり、世界を創造したパワーが「聖霊」なのだ。

単純に考えれば、世界を創造するパワーは、世界自体より大きくなければならないよね。

なので、聖霊のパワーは、宇宙の最大を絶えず超越する、ってことになる。

「絶対」とは相対的な比較を断ち切る、という意味であるとするなら、聖霊のパワーは文字通り、最高・最大・究極・絶対のパワーだ。

で、そういう聖霊が、人間に付与される、っていう。。。

そりゃ、当然、激レア・アイテムになるわけだよね!

旧約聖書を読んでいくと、「聖霊」は、ごく限られた、厳選された対象にしかあたえられないことが、わかる。

どういうひとに聖霊があたえられたか、というと。。。

イスラエル・ユダヤ人であって、かつ、祭司・長老・士師・王・預言者としての務めを果たすよう、神によって一方的に選ばれた者。

言い換えれば、聖書に出て来る主人公として活躍するようなひと限定で「聖霊」があたえられ、だから、聖霊があたえられたひとは結果的に、聖書のページに記録されてる、ってこと。。。

それに選ばれる確率は、595万分の1より、もっともっと低い。

ところがね。。。

旧約聖書を読み進めて行くと、後半で突然、「激レア・アイテムを全員に開放します!」っていう宣言が出て来るんだ。

それが、これ。

その後
わたしはすべての人にわが霊を注ぐ
あなたたちの息子や娘は預言し
老人は夢を見、若者は幻を見る。
その日、わたしは
奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。
ヨエル書 3:1-2 新共同訳

どれぐらい全員か、というと、ほんとのほんとに、全員。

そのひとの人生の HP (ハートポイント) とか MP (マジックポイント) の数字にかかわりなく、あたえられる。

だって、息子も・娘も・老人も・若者も・奴隷も・男も・女も、だからね。

じゃあ、聖霊という激レア・アイテムが全人類にあたえられる、っていうイベント開放条件が、いつ・どのように整ったのか、というと。。。

神のひとり子であるイエスが十字架にかかり、死ぬことによって、全人類の罪をあがない・つぐない、そうすることによって、われわれに完全な罪のゆるしをあたえてくれた。

こうして、聖霊があたえられるうえで障壁となっていた「罪」が取り除かれたんだ。

次に、イエスの復活から50日後、弟子たちに聖霊が注がれた。

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
使徒言行録 2:1-4 新共同訳

そうして、当時のイスラエル・ユダヤ人にとっては死ぬほど驚くことに、イスラエル・ユダヤ人ではない「異邦人」にも、聖霊があたえられるようになった。

その記録が、これ。

割礼を受けている信者(イスラエル・ユダヤ人)で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた
使徒言行録 10:45 新共同訳

以上のようにして、イベント開放条件がすべて整ったことになる。

今日の聖書の言葉は、それを指して言っているんだ。

だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ
門をたたく者には開かれる

上記は、マタイによる福音書のものだけど、ルカのバージョンでは、こうなってる。

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる
ルカによる福音書 11:9-13 新共同訳

本日現在、このイベントは、こころのなかで「イエスは復活した」と信じ、口で「イエスは主です!」と告白した瞬間、だれにでも発生するんだ *。

註)
*  Cf. ローマ 10:9

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