見出し画像

悪とは何か? 究極の悪とは何か? じゃあ、それに対して、最大の善とは何か? っていう話です。

悪とは何か? っていうことについて、たまーに考える。

悪については、いろんなひとが、いろんな説を立てていて、ほんと、いろんな見方があるもんだなー、と思う。。。

それらを総覧するだけで、人類の知のカタログができちゃうんじゃないかと思うほどだ。

自分的には、悪について、どう感じているかというと。。。

まあ、すごく単純、かつ、原初的な感覚ではあると思うけど

「悪とは、起きてほしくないと思っていることが、現実に起きること」

。。。という感じ。

今日の聖書の言葉。

しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。
テサロニケの信徒への手紙二 3:3 新共同訳

しかし、考えてみたら、起きてほしくないことがひとつも起きない人生なんて、あるのか? と。

あるなら、みせてみい、と。そう思ってしまう。

できることなら、人生の領域のぜんぶを自分の意に沿うようコントロールしたい、と思って、全人類が頑張っているわけだけど。。。

でも、基本、コントロール不可能というのが、世界のデフォルト状態だよね。

もちろん、コントロール可能な領域というのは、人類の進歩と共に増えている。

その、コントロールするための方法が、サイエンスでありテクノロジーなんだろうと思う。

でも、最新のサイエンスやテクノロジーでも破局的な事態を避けられない事例は、あるよね。

地震、津波、台風、噴火、洪水、疫病、隕石。これらは、これまでも・いまも・これからも、人類にはコントロールできないんじゃないかと思う。

自分に対して牙をむいて来る自然と他者については、必要な防御策を取ることで、こちらが受けるダメージを最小限に出来る可能性はあるけれど。。。

でも、防ぎ切れない場合には、最悪、死んでしまうこともあり得る。

悪の定義が「起きてほしくないと思っていることが、現実に起きること」だとしたら、悪のさいたるものは「死」ということになるよね。

死は、最も起きてほしくないことだもん。

そうすると、悪についての問いを究極までつきつめたら。。。われわれは死を避けることができるのか? いや、無理じゃん、だって、みんな死ぬんだもん。。。っていう身も蓋もない結論になってしまう。

だとしたら、今日の聖書の言葉は、どういうことになるんだろう?

しかし、主は真実な方です
必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます

どうするのよ、神?

これについての新約聖書の回答は、やっぱり、イエスの復活、ってことになるんだろうなあ、と思う。

神は、イエスの復活において、全人類に復活の命を与えた、というのが新約聖書のメッセージだ。

証拠聖句が、これ。。。

アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。
コリントの信徒への手紙一 15:22 新共同訳

これも。。。

イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
テサロニケの信徒への手紙一 4:14 新共同訳

まだある。。。

神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。
コリントの信徒への手紙一 6:14 新共同訳

きわめつけは、このイエスの言葉。。。

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」
ヨハネによる福音書 11:25 新共同訳

自分的には、この新約聖書に書かれている通りの「復活」が、ほんとうのほんとうに起きてほしい。。。自分の人生に・みんなの人生に、と思う。

もし、善の定義が「善とは、起きてほしいと思っていることが、現実に起きること」であるとするならば。。。

復活が起きたら、それは、最大の善の実現になるよね。

そうなったら、人類歴史において経験されたすべての悪が、最大の善によって、残らず償却されることになるに違いない。。。

自分は、そう期待もし、願ってもいる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?