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最小人数から、なぜ、最大思考が出て来たんだろう? っていう話です。

自分は、最初のクリスチャンたちのメッセージは、次のようなニュースからスタートしたんじゃないかなー、と考えている。

それは。。。

キリストはよみがえられた!
ほんとうによみがえられた!

。。。と言うもの *¹。

このニュースのスタイルは、いまなお正教会のイースターの挨拶として伝えられているよね *²。

で、イエス・キリストの復活を告げ知らされたひとは、どうなっちゃったか、と言うと。。。

イエスの名を聞いただけで、即座に救われてしまったんだ。

典型的な場面が、これ。

ペトロは口を開きこう言った・・・「イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています」
ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った
使徒言行録 10:34, 43-44

もうね、イエスの名を聞いただけで、すぐ救われて聖霊を受けちゃう、というスピード感。。。

異邦人が聖霊に満たされたのを見たペトロは、事後的に彼らに洗礼を授けるよう指示して、エルサレムの教会にこう報告した。

ペトロは、 「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。
使徒言行録 10:46 新共同訳

これって、初期のクリスチャンたちのあいだで、ものごとが非常にシンプルに進行していた様子を、よく示しているんじゃないかなー、と思う。

どれぐらいシンプルか、と言うと、イエスの名を呼ぶ=聖霊に満たされる=救われる、というシンプルさ *³。

そのシンプルさに沿ってパウロも書いている。

 主の名を呼び求める者はだれでも救われる *⁴

このシンプルな使信が世界に広がるにつれて、使信はだんだん図書化されて行って、やがて新約聖書というボリュームになるんだけど。。。

シンプルな使信を伝えたクリスチャンたちは、当時どんなビジョンを抱いていたかというと、それは「すべての人間の救い」だった。

その「すべて感」が出ているのが、これだ。

神は、すべての人々が救われて
真理を知るようになることを
  望んでおられます
*⁵

そうして、新約聖書の図書化のトリをつとめた黙示録では、すべての人間の救いから、もっと進んで、全宇宙の救い、という遠大なビジョンにまで拡大している *⁶。

今日の聖書の言葉。

わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。 「玉座に座っておられる方と小羊とに、 賛美、誉れ、栄光、そして権力が、 世々限りなくありますように。」
ヨハネの黙示録 5:13 新共同訳

玉座に座っておられる方というのが父なる神。小羊というのがイエスだね。

天と地と地の下と海にいるすべての被造物がイエスの名を呼ぶという、全宇宙的な救済のビジョン。

これは、もう、ほんとのほんとに、大それたビジョンだ。

考えてみれば、最初の使信がスタートしたときも、新約聖書の図書化のトリの段階においても、クリスチャンたちは数の上で、ずーっとマイノリティだった *⁷。

ほんのひと握りの数しかいないのに、なんでまた「全宇宙の救済」なんていう途方もないビジョンを抱くことができたんだろう?

とっても謎だけど。。。

考えられ得る答えがあるとしたら、それは。。。

やっぱり、彼らが聖霊に満たされていたから、ってことなんじゃないかなー、って思う *⁸。

だってさ、ふつうの思考なら、適当なところで止めておくじゃん。

なのに全宇宙まで拡大しちゃうわけだから。。。

それって、やっぱり、ふつうじゃないよね。

なんか、こう、ふつう=自然を突きやぶって来る「なにか」感があると思うんだ。

その「なにか」が聖霊なんだろうなー、って。

註)
*1.  イエス・キリストが復活した、というニュースはマルコによる福音書に次のように記録されていて、それが最初かつ最古の記録だ。

若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
マルコによる福音書 16:6-8 新共同訳

*2.  正教会のイースターの挨拶はギリシャ正教ではΧριστός ἀνέστη! Ἀληθῶς ἀνέστη!(キリストス・アネステー! アレートース・アネステー!)で、意味は「キリストは、よみがえられた! ほんとうに、よみがえられた!」
*3. イエスの十字架と復活は西暦33年頃と推定される。その出来事を最初に図書化した「マルコによる福音書」が書かれたのは、最も早い年代を取った場合で西暦48年頃だ。つまり西暦33年から48年までの15年間は、クリスチャンたちは文書によらず口頭で使信(メッセージ)を伝えていたことになる。なぜ図書化するタイミングが遅くなったかと言うと、使徒が「イエスは復活した!」と語り、人々が「アーメン」と応答するだけで、みんな聖霊に満たされてしまう、というシンプルな事態が進行中だったために、宣教は口頭だけで完結できた・つまり・図書化の必要を感じなかった、という可能性がある。西暦50年から65年頃になると、使徒たちの宣教で地中海世界の各地に設立された「家の教会」に対し、使徒たちに異論を挑むグループが食い込み活動をかける事態が生じて来た。そうしたグループに反論せざるを得ない状況に直面した使徒たちは、旅先から遠隔地の教会を指導する手紙を書き送るようになり、それらの手紙が厳選されて、新約聖書に収められている。
*4.  Cf. ローマ 10:13
*5.  Cf. テモテ一 2:4
*6.  新約聖書は、①イエスの出来事を記録した福音書、②聖霊の出来事を記録した使徒言行録、③異邦人クリスチャンへの手紙、④個人への手紙、⑤ユダヤ人クリスチャンへの手紙、⑥終末の出来事を記録した黙示録、という構成になっている。新約聖書の図書化のトリをつとめた黙示録は、最も早い年代を取った場合、西暦93年頃に書かれたと思われる。というのは、著者のヨハネがビジョンを書き記した流刑地のパトモス島は、ローマ皇帝ドミティアヌスが西暦93年に行った最初の全帝国規模のクリスチャン迫害に関係していると考えられるからだ。黙示録はローマ皇帝を悪の化身とみなす内容になっているが、その後の歴史の奇跡的逆転により、ローマ皇帝はクリスチャンとなり、キリスト教を国教とするに至った。西暦397年のカルタゴ教会会議で「黙示録を新約聖書に含める」と決定されたものの、東ローマ帝国をエリアとする正教会では10世紀頃まで黙示録の是非について議論が続いた。アンチローマの立場の黙示録が新約聖書に含め入れられているという事実は、ローマ皇帝が主導して聖書を改竄したという説に対して「ノドに刺さった小骨」のように機能している。
*7.  マルコによる福音書の成立が西暦48年、黙示録の成立が西暦93年だと仮定した場合、クリスチャンたちの使信は45年という期間をかけて図書化されたことになる。西暦93年にはユダヤの将軍フラヴィウス・ヨセフスが『ユダヤ古代史』の執筆を完成させた。その第20巻9章1節で「キリストと呼ばれたイエスの兄弟であるところのヤコブ」(τὸν ἀδελφὸν Ἰησοῦ τοῦ λεγομένου Χριστοῦ)がサンヒドリン(最高法院)で石打ちの刑にされた、と記されていて、これが新約聖書外におけるイエス・キリストへの最初の言及だと考えられている。「イエスの兄弟ヤコブ」とは、新約聖書におさめられているヤコブの手紙の著者だ。
*8.  Cf. コリント一 12:3, テモテ二 3:16

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