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聞こえないようにつぶやく。裸の王様、こんにちは!って。

赤ちゃんとして世界に生まれ、純真無垢な状態で人生をスタートするわけだけど、生きて行くあいだ、だんだん、世界の不穏さ、について認識させられていく。。。

自分の場合、幼稚園でいじめっこに目つぶし攻撃をくらい。。。当時、デストロイヤーというプロレスラーがテレビ試合で披露していた反則わざ。。。でもって、目が内出血してしまい、世界には「敵」が存在する、ってことを、身をもって体験した。

血管が浮き出た痕跡が、いまも目の白いとこに残っている。。。

今日の聖書の言葉。

彼らは餌食を求めてさまよい
食べ飽きるまでは眠ろうとしません。
詩編 59:16 新共同訳

人生最初のいじめを経験してから今日まで、いろんな「敵」に遭遇してきた。もちろん、世界でいちばん治安が良い国に住んでいるおかげで、敵とやりあって、生きるか・死ぬか、修羅場になるようなことは、基本、ない。

でも、生まれて来る時代が違えば、そうもいかなかったはずであって。。。

今日の聖書の言葉は、詩人王ダビデの手になるものだ。

彼は、敵に追い詰められて、文字通り、生きるか・死ぬか、ギリギリを生き延びた。その体験を回想しながら、ダビデは敵について書いている。

ダビデにとって、つらかっただろうなあ、と思うのは、彼が敬愛し仕えていたサウル王が、どういうわけか「敵」に変貌してしまったことだ。

高身長で当代随一の美青年と称賛されたこともあるサウル王は、神によってイスラエルの初代王として立てられたスーパーエリート。神の恩寵を受けた選ばれし人物だ。

ところが、ダビデが武勲で手柄を挙げて人気をあつめたものだから、サウル王は「男の嫉妬心」を抱くようになり、ついに、ダビデの命をつけ狙って亡き者にしようとする。

ダビデは無抵抗で逃げ回るんだけど、すんでのところでサウル王の手に落ち、殺されかけた。詩編 59編はその体験がベースになっている。

善良王から邪悪王への変身っぷりが、あまりにすさまじかったんだろうね。聖書の記者たちは、サウル王の変身は「主からの悪霊」によるものだ、と考えて、そのように記述している。

主からの悪霊って。。。

どう受け止めたらいいのか、ほんと、わけがわからない。。。

これは、たぶん、自分の体験にもとづく想像なんだけど。。。

人生で「敵」に直面したときに体感する邪悪さというのは、こっち側の理解を軽々と超えて来る。敵、っていうレッテルを貼るぐらいじゃ、その「わからなさ」はおさまりきらないんだ。

その「わからなさ」を言語化しようとする苦肉の策が、主からの悪霊、という表現になっているんじゃないかなー、と思う。まあ、わからんけど。。。

その「わからなさ」は、どんなに考えたって、わかるものではない。理解不可能だ。で、人生というのは、そういう「わからなさ」に遭遇する場所である、という事実が、世界を不穏なものにしている。

自分にとって、救いだなあ、と思うのは、神が神自身の身をもって「わからなさ」を引き受けて、安全に処理してくれた、ということ。それは、まるで、形而上学的な爆弾処理班みたいだ。

神が「わからなさ」を神自身の身に引き受けた瞬間。

三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
マタイによる福音書 27:46 新共同訳

その上で、神=イエスは、復活した。神学的には、われわれはいま、爆弾処理が完了した「あと」の世界を生きていることになる。

いやー、ぜんぜん、そんな感じしないですけど? ってひとが、大方だとは思うけど、さ。。。

カール・バルトに影響を与えたクリストフ・ブルームハルトという牧師がいた。ブルームハルトがドイツのメットリンゲンという村で伝道していたとき、ゴットリービン・ディトゥスとカタリーナ・ディトゥスという姉妹が「悪霊」にとりつかれ、言語に絶する苦しみを経験していた。

ブルームハルトは二人を引き取って世話し、導きを与えた。ある日、カタリーナ・ディトゥスの体が悪霊によって二つに折れるかと思うほど押し曲げられた挙句、彼女はこの世のものと思えない声で、こう叫んだ。「イエスは勝利者だ!」 

この、イエスは勝利者だ! という宣言がなされた直後から、ゴットリービンもカタリーナも悪霊から解放されて、すっかり元気になり、ゴットリービンは幼稚園の先生になり、幸せな結婚をし、三人の子どもに恵まれ、祝福された人生を送ったんだって。。。

「イエスは勝利者だ!」ってことがコロサイ 2:13で高らかに歌われている。

神は、わたしたちの一切の罪を赦し、 規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。 そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました
コロサイの信徒への手紙 2:13 新共同訳

ここにある「武装を解除し」というのは、丸裸にした、と訳すこともできるらしい。

なので、自分はこの人生で宣言する。「イエスは勝利者だ!」って。

敵たち、悪霊たち、地獄の勢力は、イエスの十字架と復活によって打破され、武装を解除され、丸裸にされ、さらし者になっている。

敵が、敵として立ち向かって来ること自体、すでにして彼らの敗北の決定的しるしなのだ。

だから、敵に対面するとき、自分は相手に聞こえないように、こころのなかで、こうつぶやくんだ。「裸の王様、こんにちは!」って。

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