結局、欲しいものは無くなっちゃうんじゃないのかなあ。どうなんでしょう、主よ?
自分は性格的には熱しやすく冷めやすいタイプだ。なので、なにか欲しい、と思った時、短期的にグワーッと欲しくなるけど、すぐ、どうでもよくなって、忘れてしまう。。。
幼いとき、親に連れられて商店街を歩いてたら、おもちゃ屋のまえの歩道に大の字になって「おもちゃ買ってー!」て泣き叫んでいる同志がいた。自分、それを冷たーい目で見てたっけなー。。。
自分がまだ乳児のときに、すぐ弟が生まれたものだから、たぶん、大事なママを弟に譲る、という実存的決断を乳児ながらもしたんだと思う。
だから、どんなに欲しいものも、簡単にあきらめるようになったんじゃないのかな。どうですか、フロイト先生?
今日の聖書の言葉。
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
ヨハネによる福音書 15:7 新共同訳
あきらめやすい性格がベースにあって、さらに、小学校高学年から中学2年にかけて仏教を求道した時期があったから、あきらめぐせが輪をかけて強くなった可能性もあるかも。
なもんだから、クリスチャンになって、「祈りのノート」に願いを書いて執拗に祈り続ける、という習慣を勧められ、見よう見まねでやってみたけど、ついぞ身に付かなかった。
まあ、性格だから、しょうがないよね。YouTubeで繁栄の福音を説く牧師のメッセージとか見ると、「なんだかなー」って思っちゃう *¹。
逆に、シスター鈴木秀子の『「聖なるあきらめ」が人を成熟させる』を読むと、「うん、うん、やっぱ、これでしょ!」ってなる *²。
そうではあっても、ね。虚心坦懐に聖書を読むと、願い求めることの大切さを、イエスが繰り返し説いていることもまた、事実だ。
今日の聖書で、イエスは「願いがかなえられる条件」を示している。それは。。。
あなたがたがわたしにつながっており
。。。ということ。
「つながっている」というのは、自分とイエスがいのちにおいて一致し、ひとつになっている、ということだ。
じゃあ、どれぐらい自分とイエスがひとつになればいいか? と言うと、ガラテヤの信徒への手紙 2:20 にある状態。。。
生きているのは、もはやわたしではありません
キリストがわたしの内に生きておられるのです
。。。これが「ほんとうにそうだね!」って実感できるぐらいに、ということなんじゃないかと思う。
自分が生きてるんだか、キリストが生きてるんだか、判別できないぐらいの状態。
その逆に、自分が主語の人生だと、自分が・自分の・自分に・自分を・自分で、でもってガッチガッチにこわばって、バランス失って、サーフボードがひっくり反って海に落ちるイメージなんだよね。まあ、サーフィンやったことないんだけどさ。。。
そして、もうひとつの条件。。。
わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば
「イエスの言葉」は、愛に集約されると思う。互いに愛し合いなさい。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。友のために命を捨てる、これ以上の愛はない。。。
愛は聖霊であり、聖霊は愛だと思うけど、その「愛」が自分のこころにいつもあるならば。。。
それは、たぶん、自分に対しても・隣人に対しても・敵に対しても・世界に対しても・神に対しても「愛」しか感じない状態。ハートを出入りするのが「愛」だけで、愛に反する要素が、いっさい無いような状態。。。
そういう状態になったなら、条件は整ったことになるねー。じゃあ、やってみるか。。。
望むものを何でも願いなさい
そうすればかなえられる
ほんとに、そういう状態になったら、これは、神学的には救いの機序(オールド・サルティス)の最終段階に達した状態じゃないかな、と思うんだけど。。。
一般召命→有効召命→義認→新生→聖化→キリスト神秘
そうなったら。。。
自分とキリストは「ひとつ」なので、神が自分を所有し・自分にかかわるすべてを神が所有し・同時に・自分は神を所有し・神があたえるすべてを自分は所有している、という感覚になるんじゃないだろうか。
つまり、すべて得て・すべて満たされている、という感覚になるはずだから、そうなると、結局、欲しいものは無くなっちゃうんじゃないのかなあ。どうなんでしょう、主よ?
こればっかりは思弁してても、わからないので、実践するしかないよね。キリストの愛でこころを満たして行こう。
註)
*1. 「繁栄の福音」(Prosperity Gospel)とは、信仰とポジティブシンキングを適切に組み合わせることにより、個人が経済的繁栄と健康の増進を超自然的に享受することができる、とする神学説のひとつ。
*2. シスター鈴木秀子は、聖心女子大学キリスト教文化研究所研究員・聖心会会員。文学療法、ゲシュタルト・セラピーを用い、全国および海外からの招聘、要望に応えて、「人生の意味」を聴衆とともに考える講演会、ワークショップで、さまざまな指導に当たっている。日本にはじめてエニアグラムを紹介した(by Wikipedia)
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