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小一時間、悔い改めて来ました。さて、気を取り直して。。。っていう話です。
クセ、というか、カーブ、というか、個性というか。。。
自分に染みついている習い性というものがあるよね。
数え上げると、きりがないんだけれど。。。
自分の場合、ほっとくと、ココロのフォーカスがすぐネガティブなことに行ってしまうのが最大の問題。
結局、その問題から、ほかのすべての問題が副次的に派生して来ることになる。
なので、意識してポジティブなことにフォーカスを切り替えようとするんだけど。。。
でもねー。。。
ちゃんと意識して切り替える努力をしていないと、いつのまにか、ずるずるとネガティブなことに引きずられて行ってしまうんだよね。
今日の聖書の言葉。
悔い改めにふさわしい実を結べ。
マタイによる福音書 3:8 新共同訳
イエスを信じたら、自動的にすべてが切り替わって、バラ色の人生になって、ストレートに天国へ行ける。。。
。。。って言うのだったらラクだろうなー、と思うんだけど。。。
残念ながら人生はフルオートマチックのベルトコンベアーではない。
今日の現実の自分に向き合いながら、一歩、一歩、天国へと進んで行くしかないんだよね。
そこで、今日の一歩。。。
この一歩を、どう踏み出すか、ってことになるんだけれど。。。
自分の場合、ココロのフォーカスを、いかにネガティブからポジティブに切り替えるか、っていうことが課題になる。
今日の聖書の言葉にある「悔い改め」とは、新約聖書の原語ではメタノイアとなっていて、それは、フォーカスを切り替える、っていう意味でもあるんだよね。
だから、ココロのフォーカスをイエスに向けよう。この聖句が勧めているとおり。。。
あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
コロサイの信徒への手紙 3:1 新共同訳
ココロのフォーカスをイエスに向けたら、次は、今日出会う一人一人に向き合うことになるわけだけど。。。
そのときも同じように、ココロのフォーカスをイエスに向けよう。この聖句が勧めているとおり。。。
そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
コロサイの信徒への手紙 3:11 新共同訳
家人にも、隣人にも、同僚にも、関係先にも、道行く人にも、他人にも、外国人にも、異質な人にも、敵対的な人にも、この聖句をあてはめてみるならば。。。
キリストがすべてであり
すべてのもののうちにおられるのです
今日、だれに会うにも、その人のうちにイエスを見ることができますように。。。
イエスに接するように、相手に接することができますように。。。
そうすることによって、ココロのフォーカスをイエスに向け続けることができますように。。。
さあ。一歩、天国に近づいた!
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