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武具の話をいろいろしてますけど、結論から先に申し上げると。。。ひとの言うことを、いちいち気にするな、っていう話です。

意識って、どこにあるんだろう、ってことを、ときどき考える。

やっぱり、目の裏側あたりにあるのかねー。

アタマって、いろんなセンサーが集中してるじゃん。

目・耳・鼻・口っていう五感の 80%がアタマにあるわけだから。

なので、目・耳・鼻・口を線で結んだ交差点のあたりに「意識」があるのかもしれない。。。

今日の聖書の言葉。

何を守るよりも、自分の心を守れ。 そこに命の源がある。
箴言 4:23 新共同訳

涙腺が崩壊したり、怒りが込み上げたり、恐怖を感じたり、不安になったりするときは、アタマよりハートのところに「意識」があるように感じる。不思議だね。

もしかしたら、アタマとハートのあいだで意識がスイッチしているのかもしれないけれど。。。

アタマとハートをやられたら、人間はひとたまりもない。格闘技のクリーンヒットを、どっちにくらっても、一瞬でノックアウトされちゃう。

だから、甲冑の構造は、いかにアタマとハートを守るかに注力しているわけで。。。

敵との戦いは、物理的世界だけではないんだよね。スピリチュアルな世界にも戦いがある。

そうなると、スピリチュアルな甲冑が必要だ、ってことになって来る。

パウロはエフェソのクリスチャンたちに宛てた手紙のなかで、スピリチュアルな防御装備をリストしている。こんな感じだ。

神の武具を身に着けなさい。 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、 平和の福音を告げる準備を履物としなさい。 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
エフェソの信徒への手紙 6:13-17 新共同訳

ふつうの軍装なら中田商店で買えばいいんだろうけど、スピリチュアルな甲冑となると、ダイレクトにイエスからもらうしかないよね。究極のダイレクト通販だ。

具体的には、お祈りによって発注して、聖霊を通して受領する、っていうかたち。発注から受領までは、スピリチュアルなので、基本、タイムラグが無い。

では、装備品を一個ずつ見て行こう。

1.真理の帯

フェイクニュースが蔓延まんえんするこの時代。なにが「ほんとう」かを見極めるのは大変だ。でも、あきらめて、情報の取捨選択をしなかったら、それは、ベルトをしないユルユルのズボンで戦場に立つようなものだよね。一歩進んだらズボンがずり落ちてパンツ一丁になっちゃうわけで。。。なので、「真理の帯」を付けよう。じゃあ、真理とは何か?(by ポンテオ・ピラト)ってことになるんだけど、自分的には、イエスが真理だ、と思っている。

2.正義の胸当て

ボクシングのクリーンヒットをハートにくらったら、呼吸が止まってノックアウトだ。だから、全力でハートを守るわけだけど、スピリチュアルな戦いでは、敵はハートの内側から侵食して来る。侵入ポイントとなるのが「罪悪感」だ。細胞の表面にある受容体に、ウイルスのスパイクタンパク質が結合して、なかに入り込んでくるみたいな感じだねー。脂質でできているエンベロープウイルス(インフルエンザとかコロナ)だったら、石鹸でやっつけることができる。スピリチュアルな世界での最強の石鹸は、なんと言っても「イエスの十字架の血潮」だ。それにより、罪を赦され、良心がクリーンになり、ハートが100%完全に守られる。つまり、正義の胸当てとは、石鹸ならぬ、イエスの血、ということだねー *。

3.平和の福音の履物

自分が相手に近づいて何かを言うことをエンゲージメントって言うんだけれど、それをやるには、自分と相手の間の見えないボーダーラインを越境することになるんだよね。で、不用意に越境すると、相手は「土足で踏み込まれた」という感覚を持つことになる。だから、相手に何か言おうとするとき、いま自分がどんなクツを履いているか、ってことを意識しなきゃいけない。聖書は「平和の福音の履物」を履け、って言ってる。泥だらけのクツを脱いで、イエスの十字架と復活による愛・恵み・祝福・罪の赦し・永遠の命っていうクツを履け、ってことだね。

4.信仰の盾

スピリチュアルな戦いで致命傷になるのが、心配・恐れ・不安だ。心配・恐れ・不安のトリガーをスイッチオンさせるために、敵は「疑い」という矢を射かけて来る。それこそ、のべつまくなし、間断なく、ビュンビュン飛んでくる。ぜんぶまともに受け止めていたら、数分でハリセンボン状態だ。なので、「信仰の盾」で全身をカバーする必要がある。「疑い」という火の矢を消すことができるのは、シンプルに「信じる」ということダケなんだよね。信じない、という選択をするのであれば、それは、盾を捨てて敵の前に立つわけだから、集中砲火を浴びることになる。そうなっちゃったら、心配・恐れ・不安で死なない方が、むしろ不思議だ。

5.救いの兜

スピリチュアルな戦いの最重要な防御部位はアタマ。だって、アタマが残っていれば、ほかが切られても、持ちこたえられるもん。そして、アタマを守る最大の防御方法が「救い」だ。イエスの十字架と復活によって、自分は罪を赦され、聖霊をあたえられ、永遠の命にあずかっている、という内的な確証(アシュアランス)が、ある、と、ない、とでは、大違いだ。最近、大きな教会の牧師がクリスチャンをやめるケースが起きているけど、アシュアランスを失ったのが理由だろうと思う。じゃあ、アシュアランスって、どこで手に入るのよ? ってことになるんだけど。。。これは、祈って聖霊をとおしてイエスからダイレクトに与えられるもの。残念ながらコンビニでもアマゾンでも売ってない。

6.霊の剣

アシュアランスを失いそうな緊急事態には、防戦一方ではダメだよね。打って出て突破しなきゃいけいない勝機があると思う。映画「ロードオブザリング」第2編でヘルム峡谷の角笛城から打って出たセオデン王とアラゴルンみたいにねー。勝機でふりかざす剣は、クリスチャンの場合には「聖書」だ。敵に向かって聖書の言葉を宣言して行くような使い方が、剣としての用法。剣は、毎日サヤから抜いて、剣をふるって、練習しないとね。机の隅でほこりをかぶっていたんじゃあ、そりゃ、戦いは防戦一方になるわけだよ。。。だから、毎日、聖書を開いて、読む。そして、ハートとアタマにそのコトバをインプットする。

今日、自分がインプットしたコトバは、これだ。

人の言うことをいちいち気にするな **

註)
*  Cf. ローマ 3:25
**  Cf. コヘレトの言葉 7:21

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