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すべてのひとの名前をぜーんぶ忘れてしまったとしても。。。っていう話です。

これから5分後の世界がどうなるかわからないけれど、困るのは、つい5分前に自分が何をしていたのか思い出そうとしても思い出せないことがある、ってことだよね。

自分、どうした? もしかして認知症?

まあ、5分前に何をしていたか、っていうことを忘れたとしても、「いま」に集中して生きれば、そんなに問題にはならないかもしれない。。。

けど、ひとの名前がぱっと出て来ない、っていうのは、さすがに困るよね。

えーと、あのひと、なんて名前だっけ? ほら、ほら、あれだよ、あれ。。。だめだー、思い出せない。。。みたいな。。。

名前を忘れてしまったんでは、話のしようもないし、連絡の取りようもないし、何かをお願いしたりすることもできない。。。

困ったものだ。。。

今日の聖書の言葉。

ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。
使徒言行録 4:12 新共同訳

名前を忘れてしまって、ほんとのほんとに困るときには、名刺の束を取り出して、パラパラめくりながら探そうとしてみる。

だけど、そこで戦慄するのは、会ったことが思い出せないひとの名刺がけっこうある、ってことだ。。。

自分はクリスチャンだから、ほんとなら、名刺をもらったら聖書の間にはさんでおいて、そのひとがイエスとご縁が結べるよう名刺をみながら毎日お祈りしなきゃいけないんだけど。。。

でも、ついつい机の中にしまって忘却してしまう。すると、会ったことすら忘却してしまうという。。。

ああ、なんて情けない自分。。。

自分がこんなふうに相手を忘れているんだから、相手のほうも自分を忘れていても仕方ないことだよね。。。

忘れ、忘れられ、永遠の虚無の世界へとなだらかにつづく坂をゆっくりゆっくりくだっていく。。。

なんだか、悲しい。。。

でも、「神」だけは、自分のこともみんなのことも忘れないで覚えていてくれると思う。だって、神自身がこういうふうに言っているから *。

女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか
たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない
見よ、わたしはあなたを
わたしの手のひらに刻みつける

5分前のことも思い出せない自分が、さあ、これから5分後に息を引き取る、ってなったとき、ああ、どうしよう、こんなおぼつかない自分が天国に入れてもらえるだろうか、って不安になって、だから机の中から名刺の束を取り出して、いろんな名前をパラパラ見ながら、このひとなら自分を救ってくれるだろうか? このひとなら自分を救ってくれるだろうか? って探してみても、たぶん「これだ!」っていう名前は見つからないだろう。

だってさ。。。会ったことすら、自分、忘れてしまっているんだから。相手だって、絶対に自分のことを忘れているに違いない。。。

でも、ひとりだけ、ただひとりだけ、オレはお前を絶対に忘れない、っていうひとがいるんだ。お前を忘れないように、オレの手のひらにお前の名前を刻みつけたから、っていう熱い熱いひとが。。。

それが、神であるイエスだ。

だから、自分はイエスの名前を呼んで、イエスの手のひらをじーっと見つめる。すると、その手のひらには確かに傷あとがついているんだ。

イエスは言ってくれる。ほら、うそじゃないだろ。この通り、オレはお前の名前を手のひらに刻み付けたんだ、って。

わたしがあなたを忘れることは決してない
見よ、わたしはあなたを
わたしの手のひらに刻みつける

註)
*  Cf. イザヤ 49:15-16

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