世界があたらしくなったから、自分の生き方もそれに合わせて、あたらしいやりかたで行きましょう、っていう話です。
ココロのはたらきのひとつに「慣れ」っていうのが、あると思うんだよね。
まあ、ココロっていうよりかは、脳のはたらきかな。。。
自分は朝ねぼけながらキッチンに行ってコーヒーを作るんだけど、不思議なことに半分意識が飛びながらでも、できちゃう。
これが、はじめてやることだったら、取説とにらめっこしながら、だれかに手ほどきしてもらいながら、「そうじゃないよ」と突っ込まれながら、おぼつかない手つきで取り組むと思うんだけど。。。
でも 10回、20回と繰り返して行けば、だんだん慣れて来て、ついには半分意識が飛んでても、できてしまえるようになる。
ありがたいもんだよね、「慣れ」って。。。
今日の聖書の言葉。
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
ローマの信徒への手紙 12:2 新共同訳
でもねー。。。「慣れ」のなかだけで生きてると、「慣れ」から一生出られないことになっちゃう。
聖書は、イエス・キリストの出来事によって世界はあたらしくなったんだから、ココロもあたらしくしないと! と勧めている。
それはつまり、自分は「古い世界」の生き方に慣れきっているので、いったんそれを置いて、「新しい世界」の生き方に移行しなきゃいけない、ってことなんだろうと思う。
えーっと。。。その。。。新しい世界って。。。なにそれ? 食べれるの?
ってことで、まあ、ふつう、人間、そういうことついては、不慣れだ。
だって、しょうがないじゃん。古い世界にどっぷりつかって生きて来たわけだし。。。
なので、ここはやっぱり、新しい世界についての取説(取り扱い説明書)を読むしかないよね。
それがつまり、聖書なんだろうと思うんだけど。。。
しかしねー。。。聖書は分厚い。。。なにかこう、もっと、パッと簡単にわかるような取説がないもんだろうか。。。
ってことを思いながら、正教会の祈祷書を読んでいたら、ハッとさせられる祈りのコトバが書いてあった。
これだ。
主宰よ、爾は神なるに因りて光栄の中に墓より復活し、世界をも共に復活せしめ給えり。人の性は爾を神として讃め歌い、死は滅ぼされ、アダムは楽しみ、エワは今縛より釈かれて、歓びて呼ぶ、ハリストスよ、爾は衆人に復活を賜う主なり。
第三時課 小讃詞第一調、正教会『主日奉事式』p.208
残念ながら明治時代のニコライ主教の文語体のママなので、現代人にはわかりずらいよね。
なので、自己流で訳してみた。こんな感じだ。
主イエスさま、あなたは神ですから、栄光のうちに墓から復活し、世界も一緒に復活させてくれました。人間の本性は、神であるあなたを賛美し、死は滅ぼされ、アダムは楽しみ、エヴァはいま呪いから解放され、よろこび叫びます。キリスト! あなたはみんなを復活させてくれた主です!
もうね、これじゃん、これを待ってた! みたいに自分は感じた。
こういう世界を今日から自分は生きればいいじゃん! っていう。今日からオレは、か(笑)
スゴイナーと思ったのは、この世界観だ。
主イエスさま、あなたは神ですから
栄光のうちに墓から復活し
世界も一緒に復活させてくれました
イエスが復活したとき、イエスに結ばれて、この世界は・いま・もう・すでに・ぜーんぶ復活したんだよ、っていう、このビザンチン神学の世界観。
これはカトリックもプロテスタントも見落としているポイントじゃないかと思う。
もし、この世界観を前提に生きることができたら、生き方も感じ方もフルマイも、自分、ぜーんぶ変わってしまうんじゃないの、って思う。
じゃあ、どういうふうに生き方が変わるのか、って言うと。。。
人間の本性は、神であるあなたを賛美し
自分の生きる意味・自分の生活の目的・自分の存在の機能・自分の日々の実践・それは・ただ・もう・すべて・神であるイエスを賛美すること、に尽くされることになる。
賛美するとは生きること。生きるとは賛美すること。。。
明けても暮れても賛美、賛美。感謝、感謝。ひたすら賛美。ひたすら感謝。
なんでそうなるかというと。。。
死は滅ぼされ、アダムは楽しみ
エヴァはいま呪いから解放され
よろこび叫びます
イエスの十字架は全人類から呪いを除去した。イエスの復活は全人類に永遠の命を授けた。生きる楽しみは永遠に続き、生きるよろこびも永遠に続く。おたのしみは、まだまだ、これから! っていうわけ。
十字架と復活によって死と呪いから解放された全人類は、人生をココロの底から楽しみ、よろこぶことができるようにされているんだ。
というわけで、具体的には自分はこういう賛美のコトバを言って行くことになる。
キリスト! あなたはみんなを復活させてくれた主です!
聖書という取説、正教会の小讃詞という圧縮した解説に依拠するなら、以上述べたように、新しい世界に対応した新しい生き方を、自分は今日からスタートすることになる。
そして、そういう生き方に慣れる必要がある。慣れるには、ひたすら実践するしかないんだよね。
10回、20回、100回、1000回。。。すると、半分無意識でも、できるようになっちゃうはず。よろこび、よろこべ、賛美、感謝、っていうフルマイが。。。
註)
* コンダクはコンタキオン(Kontakion)とも言い、6世紀のビザンチン(東ローマ帝国)の正教会で生まれた短い讃美歌を指す。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?