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自粛、ひきこもり、身体、そして、神。

このところの感染者の増加を受け、あすから政府が緊急事態宣言を出すことになった。昨年4月の発令から二度目だ。

あす以降、どう身を処すのか。。。

あれも、できない。これも、できない。。。あそこにも、ここにも、行けない。。。

感覚的には、自分の身体が、ちいさな箱に押し込められ、フタを閉じられちゃう感じ。

この身体でもって、まちを闊歩したり、山に登ったり、海で泳いだり、飛行機に乗って飛んだり、仲間たちとおしゃべりしながら食事したり、いろいろ、やってたなあ(遠い目)。。。

すべて、身体あってのことだ。

またしばらく、この身ひとつで、じーっとしていなければいけない。

今日の聖書の言葉。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネによる福音書 1:14 新共同訳

新約聖書は、おどろくべき宣言をしている。

それは、宇宙の創造主であるロゴス(ことば)が、身体をとって、わたしたちのあいだに宿った、ということ。

創造主は、永遠で、無限で、完全で、全能で、全知だ。あらゆる点で人間とちがう。まさに神が神であるゆえん。

。。。にもかかわらず、創造主は、わたしやあなたのように、身長も体重もあり、痩せも太りもし、傷つきもし死ぬこともある、ふつうの身体をもった一個の人間になって、来てくれた。それがイエスキリストだ、と新約聖書は言う。

いま、自分の爪や髪を、じっと見つめる。腕にある、傷やへこみ、痛む背中や、つきでたお腹。。。そういう自分の身体において、神が自分と結び合ってくださる。。。って、ホントかよ、と思ってしまうけれど。。。

身体をもつ神について、5世紀のクリスチャンたちが書いた「カルケドン信条」では、こう宣言されている。

われわれの主イエスキリストは唯一・同一の子である。同じかたが神性において完全であり、この同じかたが人間性においても完全である。
同じかたが真の神であり、同時に理性的霊魂と肉体とからなる真の人間である。
同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに、人間性においてわれわれと同一本質のものである。罪のほかはすべてにおいてわれわれと同じである。
『カルケドン信条』より

イエスは、神性において、父なる神とひとつ。だからイエスは神なんだ。

それだけじゃない。イエスは、人間性において、わたしたちとひとつ。

自粛期間のあいだ、もてあまさなければならない、わたしたちの身体。その身体において、イエスはわたしたちと・いま・もう・すでに・結び合っていてくれる。。。新約聖書が言ってることと、5世紀のクリスチャンたちが信じてたことを、そのまま受け入れるなら、論理的にはそういうことになる。

じーっとひきこもっているだけで、すでに、わたしたちは神と共にあり、神の内にあり、天と地は結ばれて、ひとつとなり、わたしたちの魂は解放されている。。。イエスキリストが、わたしたちの身体において、いっしょにいてくれるからだ。。。そう信じ、がんばってみよう。



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