ティーンエイジャーの頃に人生最高の模範を得られたら、どんなに良かったろう。。。でも、ダイジョウブ。まだ遅くない、っていう話です。
「これでいいのだ!」という気分と、「こんなことじゃだめだ!」という気分と、2つのあいだを揺れ動く気分の今日この頃。。。
みなさま、いかがおすごしでしょうか?
どういうふうに生きたらいいんだろう、自分?
。。。っていうのは、赤ちゃんの頃からずーっと感じ、考え、試行錯誤していて。。。
本日現在、まだなお、試行錯誤中。。。
手っ取り早く、こう生きればいいじゃん! っていう模範があれば、助かるよねー。
今日の聖書の言葉。
神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。
ヨハネの手紙一 2:6 新共同訳
今日の聖書の言葉は、イエスを模範にすればいいんだよ、って言ってる。
イエスが歩まれたように
自らも歩まなければなりません
この言葉を書いたヨハネは、イエスの弟子のなかで最年少だった。
イエスの十字架と復活を目撃したときのヨハネは、ティーンエイジャーだったんじゃないかと思う。
その後ヨハネは 100歳近くまで長生きして、手紙・福音書・黙示録を書き残した。それらは新約聖書に収められている。
考えてみれば、ヨハネがイエスとリアルに過ごしたのって、3年半ぐらいだったんだよね。
ティーンエイジャーの頃に経験したイエスとの3年半。
毎日、イエスと共に起き、イエスの声を聴き、イエスと共に食べ、イエスと共に歩き、イエスと共に働き、イエスと共に笑い、イエスと共に泣き、イエスと共に眠る。。。
その濃厚な 1277日間の記憶を思い出しながら、ヨハネは 100歳まで生きたんだろうか?
福音書で、こういうイエスの言葉を、ヨハネは記している。
わたし(イエス)に対するあなた(父なる神)の愛が彼ら(弟子たち)の内にあり、わたし(イエス)も彼ら(弟子たち)の内にいるようになるためです。
ヨハネによる福音書 17:26 新共同訳
これって、こういうことだよね。
みんなのなかにイエスはいる
これが 100歳まで生きたヨハネのリアルな感覚だったんじゃないだろうか?
濃厚な3年半は、3年半で終わったわけではなく。。。
十字架にかかり復活したイエスは、ヨハネのなかで、みんなのなかで、ずーっとリアルに生き続けている。100歳になったいまも、なお。。。
そういう感覚をヨハネは持っていたんじゃないだろうか。
福音書・手紙・黙示録でヨハネが言いたかったであろうことを、蛮勇をフルって、ひとことでまとめてみるとしたら。。。
福音書 みんなのなかにイエスはいる
手紙 大切なのは愛だよ、愛
黙示録 セカイノオワリでイエスが待ってる
こんな感じになるんじゃないだろうか。
イエスを模範として生きるとは、昔のひとの伝記を読んで、言動をマネする、っていうことではなく。。。
いま、自分のなかに生きているイエスの「いのち」をリリースすることなんじゃないかと思う。
みんなのなかにイエスはいる
その「いのち」の具体的な現われが、愛だ。
大切なのは愛だよ、愛
そして、その愛は、セカイノオワリが来る日まで、世界のなかで、毎日、毎日、試される。
セカイノオワリでイエスが待ってる
でも、イエスは、歴史の彼方の向こう側から、ただ見ているだけじゃあない。
だって、これだからね。
みんなのなかにイエスはいる
もし、それをココロから信じることが出来たなら。。。
今日の自分はヨハネと同じような体験ができるんじゃないかと思うんだ。
毎日、イエスと共に起き、イエスの声を聴き、イエスと共に食べ、イエスと共に歩き、イエスと共に働き、イエスと共に笑い、イエスと共に泣き、イエスと共に眠る。。。
。。。っていう生き方が、今日も・明日も・100歳までも、できるハズなんだ。
わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり
わたしも彼らの内にいるようになるためです
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