福祉職の「五感」
福祉職はありとあらゆる感覚を研ぎ澄ませて職務にあたっている。
触感
触った時の温度や膨らみや凹みを感じとる。また、暗くて見えない場所や届きにくい場所で手探りで探す時に指の感覚でスイッチなどを押すことがある。また、固い、柔らかい、ザラザラしている、すべすべしているなど、触ることによって、健康状態を考えることもある。
福祉では、タッチングという技術がある。ただ「触れる」ということではなく、そこから利用者の理解へつながり、支援に活かそうとすることである。たまに、触れることで喜怒哀楽を感じ取ることもある。
タッチングとは、非言語的コミュニケーションの一つで、患者さんの身体に触れることをいいます。タッチングには、マッサージや指圧など、治療を目的とするタッチング、バイタルサインの測定や清拭、検査など処置目的のタッチング、苦痛・不安の軽減や励ましなど、コミュニケーションを主体とした共感的タッチングがあります。
看護におけるタッチングとは、共感的タッチングを指すことが多いでしょう。患者さんに安心と安楽を与えるために欠かせないケアであり、意識的にもしくは無意識的に行われています。
患者さんに安心感を与えて、不安をやわらげる効果があります。また、患者さんと看護師との間に親和感が生まれて、患者さんが悩みや不安を表出しやすくなるという効果もあります。
こうした効果は、ほとんどの看護師が自分の経験によって認識していると思われます。また、患者さん側からは、「気持ちに寄り添ってくれる感じがした」など、タッチングの効果をあらわす声も多く聞かれます。
引用( ナース専科 より)
僕の場合は、肩を揉む時に、触った感触でどこが凝っているのかは何となくわかる。また、機械(家電)や道具(福祉用具)での振動や動き方で不具合を感じ取ったりする。
嗅覚
利用者が食べた食事の匂い、オムツやリハビリパンツでの排せつ物の臭い、など。例えば、老人ホームで椅子に座っている利用者がいた時、近づいと時に「ムムッ」と異臭を感じて、トイレに誘導すると、排泄する直前であったり、尿取りパッドが濡れていたこともある。また、深夜の巡回で利用者の居室に入った時の臭いで「もしかして」と思っていると、オムツが濡れていることもありました。
食べ物に関して言うと、作り置きした料理がまだ食べられるかを見た目だけでなく、臭いをかいで判断することがある。
それだけでなく、洗濯物やせっけんの香りで、どの香りが好きなのか、こだわりがあるのか、も理解しようとする。
味覚
利用者に提供する食事を味見して、嚥下の状態を考えて「もう少し味の加減をした方がいいかな」「柔らかくしたほうが良いかな」などと考えていく。こうなってくると「調理」のことだけだと思うかもしれないが、僕は違うことも考えてしまいます。
少し味覚とは異なるかもしれませんが「後味」というものである。「何だか(利用者に)悪いことしてしまったなぁ」と思う時や、「言いたくても言えなかった」時の口に残る感覚である。そして、時として(病気というわけでなく)味を感じなくなる時がある。それは、利用者や職員からの嫌がらせを受けた時である。悲しくて虚しくて食べても味を感じないこともあります。
視覚
目が悪いとか悪くないとか関係なく、利用者の状況をこの目でじっかり見ようとしている。「観察」も関係しているが、見る時に「その場の環境や被写体までの距離」で、自分でピントをなんとなく合わせていることがある。明るさによって、パソコンを使う時によって、散歩のときに遠くを見る時によって、眼の使い方を変えているような気がしています。また、夜勤で巡回をしている時に、うす暗い中で、利用者のもとへ行き、オムツ交換をすることもある。
また、きちんと見ることが出来ないとしても、瞬間的に周りを見回して、状況を把握したり、利用者の変化をひとまず把握することもある。
そして、介護の仕事をしていると、一人の利用者ときちんと対面して支援しているときが多いのは当たり前だけど、その利用者の背後で何が起きているかも見ている。例えば、他の利用者がトイレに行こうとしていたり、電話が鳴っていたりを見ている。もしかすると、正面にあるかもしれない「鏡」で部屋全体や支援員の背後を見回しているかもしれない。鏡と書いたけれど、ガラスの反射であれば、メガネであっても壁掛け時計であっても窓ガラスであっても、うっすらと見えていれば、部分的でもいいから、そこから様子を見ている。
聴覚
人の声はもちろんである。小さな声であったり、かすれた声であっても、利用者同士での会話であっても聴いている。また、足音、車いすの駆動音、呼び声であったり、と敏感になっている。時として聞きたくないこと(=グチ)もありますが。
また、人以外の声や音を聴いている。例えば、車いすやベッドのギシギシ音やこすれる音や、人工呼吸器やナースコールにも敏感になってくる。
そして、サイレンにも敏感になってきます。救急車やパトカーのサイレンについては、割と遠くでも聞こえてしまいます。また、散歩中には、こちらに向かってくる自動車や自転車を感じ取ります。人ごみの中では、聞こえている時と聞こえていない時がありますが、利用者を見て口の動きで理解しようとしています。
上記の五感は、利用者からの何かしらのサインのように感じています。相手に何か伝えようと、身体から発しているし、支援者の身体が微妙なサインを受け取ろうとしている。この五感を通して「いつもと違う」を感じとる。それも身体全体で。
そして、それぞれ相互的に組み合わせながら支援をしていくことが求められている。
そして、追加で書いておきたいのは「第六感」というものです。
第六感
上記のような感覚のほかに「第六感」もある。びびっと直感みたいなものと思いますが、福祉で言うと「利用者に危険が迫っていて、関わってはいけない雰囲気」や「その場に漂う怪しい雰囲気」を感じ取ることがある。
いつもと変わらない様子であっても、人からの視線でHELPを感じ取る。その場から、その人から逃れたいというオーラみたいなものを感知することがあります。
うーん、、、書こうか迷ったけど、書いておきます。
介護職・福祉職では「死の予感」を感じてしまう時があります。霊感というわけではありませんが、利用者に漂う「死のオーラ」みたいなものである。そんなことは口には出せませんが「ちょっとやばいかも」と思ってしまうこともあります。外れることを望んではいますが、顔色や呼吸(の温度、臭い)で予感してしまうこともあります。
最期に
これまで挙げた感覚は、すぐに身につくものとそうでないものがありますが、この感覚が身についたから「いい福祉職」「いい介護職」というわけでもありません。また、利用者にも、利用者なりの五感が身についているかもしれません。
要は「その先に何をするのか」「どう活かすのか」が重要になってくると思います。