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僕の就活体験〜就活は素の自分を出した方が長い目でみたらよかった話

僕が就職活動をしていたのは37年も前のことなので、今の時代にどれほどの役に立つのか皆目見当もつかないですが、大枠ではそんなに変わっていないと思うので、まぁ聞いてください。

1987年なのでバブル期最後の方、就職氷河期までもまだ4−5年。
なので世間的にはそんなに困っていなかったのかもしれないが、いかんせん僕は就職三重苦(大学は2浪で入学、ゼミは労使関係論、大学時代に熱心に取り組んだのはバイトとバンド)だったので、受けるところ受けるところ落とされていた。

浪人時代から5年近くやっていたコーヒーショップでのアルバイトがとても性に合っていた感じがしたので、接客業とか流通関係に進もうと、当時はまだ元気があった百貨店を中心に、あとは全国小売チェーンなどを目標にしていた。

某大手百貨店の会社説明会に行った時は、
「我が社はこれから10年計画で超大型出店を進める!」
みたいなことを言っているのを聞いて、内心は
「あれ?そうだっけ?ちょっと違うな、大丈夫かな?」
と思ったり、
結果、かなり跡形もない状態になったので、よかったのだけど。

あと、当時セゾングループとして今でいうエンタメ方面にも力を入れていた西武百貨店を受けたけど、1次面接で終わったり。

それでも1次面接まで行ければ良い方で、絶対無理だろうなと思いつつ冷やかして会社案内を申し込んだTBSは、資料さえ送って来なかった笑。

会社の事業に関わりなく、就活学生相手の面接などはどこも似たりよったりだったのだけど、さすが面白い試験だと思ったのがレコードショップチェーンの新星堂さん。
当時は全国展開凄まじく大きめの駅にもどこにもあった。
ここの試験がユニークだった。
当時デビュー直前のアイドル歌手数名のプロフィール資料が配られて、デビュー曲が流される。
それを聴きながら、プロフィール写真とかみながら、誰が一番売れると思うか1名だけ選んで、その理由も記述せよ、というものだった。
その時、僕が選んだのがその年の夏にデビューした仁藤優子さんだった。
もちろん、そこも1次面接で落ちたのだけど、あの試験を受けられただけでも良い経験だった。

まぁ、そんなこんなで三重苦を抱えて、面接では取り繕うようなことを言うのだが、所詮面接官には見透かされていて、夏を迎える頃にも目処は全く立っていなかった。

そして、ある日大学の同級生に誘われて、新しく大阪城の近所に出来たばかりの会場でやっていた就職展らしきイベントに行った。
かなり広い会場にぎっしりと各社がブースを出しているのでけど、まあ聞いたことのない中小企業ばかりで、見栄ばかりあったぼんくら学生が自分の状況もわきまえず
「イマイチやなぁ」
とか呑気なこといいながら、
「最後にあそこの日焼けした兄ちゃんと美人のお姉さんのいるブース冷やかしてから帰ろか」
と立ち寄ったのが、僕が新卒で入社することになった会社だった。

当時はその会社も社員200人もいない規模で、しかも大型汎用機全盛期にコンピュータソフトウェアの会社なんて、
「それはいったい何ですか??」
みたいな感じだった。
一通り会社の説明とか受けて、
「何か質問ありますか?」
と尋ねられたので、
「そんなきれいに日焼けしてはりますけど、そんな遊ぶ暇あるんですか?」
と失礼な質問にもニコニコしながら、
「うちは仕事もセルフマネジメントなので、チームの状況をみながら仕事をマネジメントして遊ぶ時間を作るんですよ」
と丁寧に答えてくださったのが、当時の人事担当のマネージャさんだった。

「makotoさんは、流通業志望でしたよね?接客とか好きなんですね。うちも、企業相手ですがお客様と会話をして仕事を進めることが多いから大丈夫ですよ!」

と分かったような分からないような感じで思いっきり背中を押されて、その日はブースを後にした。

他の会社と違って、なんだか人事担当の2人がフレンドリーで感じよかったな、という印象だけ残った。

その会社のこともすぐに忘れていたのだけど、数日後に会社説明会に来ませんか?と郵便が来た。
あぁあの会社か、と人事担当の2人のことはすぐに思い出した。
同級生の友人は第一志望の某食品メーカの2次面接が終わってそこ一本に絞っていたので、だったらもう少し付き合ってみるか、と1人でその会社の説明会に行くことにした。

当日、大阪駅前のピカピカのビルに入っているオフィスに行き、会社説明もそこそこにいきなりグループ分けされてゲームと称して、グループディスカッションがはじまった。

僕としては、どうしても入りたい会社だった訳でもなく、そもそも何をする会社なのかもよく分かっていなかったので(それは入社しばらくしてからも同じだったけど笑)、いつもの面接とは違って、全く気負わず、格好つけず、いつもの素のままでグループディスカッションを楽しんだ。

その時の取り組む姿勢がよかったみたいで、それから2次面接、役員面接ととんとん拍子に進み、1ヶ月後にはありがたいことに内定をもらうことになった。

面接もさすがに役員面接まで来ると若干緊張したが、それでももはや取り繕っても所詮はバレてると思い、終始素のままで受け応えしていた。

勉強はそんなにしてません、でもアルバイトは命かけてやってたし、なんと言っても接客は嫌な客もいますが、常連さんが喜んで毎日足を運んでくれるのはうれしい、
みたいなことを言ったような気がする。

今から思えば、会社もまだ小さくこれから大きくするぞというベンチャー気質があったのと、こちらの素のままの正直なところが評価されたのは、本当に奇跡のような巡り合わせだったと思う。

入社式の時には、依然として「コンピュータソフトウェア」が何なのかよく分からず、ザ・文系の僕が何をするのか、させられるのかも皆目見当もつかなかったけれど、
2浪で労働組合関係のゼミでバイトとバンドばっかりしていた自分を快く受け入れてくれた会社には少しだけ(少しかい!)感謝していた。

同期入社は30人くらいいたけれど、流石に最年長かなと思ったらなんと2浪はぞろぞろいたし、2浪2流というさらにツワモノが2人もいて、なんという会社だ、何でもありやん、オモロと少し驚いた。

そうして素のまま出してもOKだった会社は、いざ仕事が始まるとつらいことも山ほどあったが、楽しいことも嬉しいことも振り返ってみれば多く、それはまた違うnoteで書ければと思います。

そんな会社にも、なんだかんだで気がついたら定年直前まで35年間もお世話になることになりました。

これが僕の就活体験です。
だいぶ昔の話だけど、そしてきっと大企業への就活には全く役に立たないかもだけど、それでも、これは自分の良いところだと思うところをそのまま出して、それを受け入れてくれた会社との幸せな出会いがあれば、きっとお互い長い付き合いが出来るんだろうなと思います。

長い文章ですが読んでくださってありがとうございました。

それでは!

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