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石井裕也監督「生きちゃった」鑑賞〜思いは言葉にしないと伝わらない

こんにちは、makoto です。

今朝、NHK朝ドラ「ちむどんどん」の流れでそのままあさイチを観ていたら仲野太賀さんがトークゲストで出演されていた。

仲野太賀といえば、僕らの世代ではお父さんの中野英雄さん=チョロがすぐに思い浮かぶ。
チョロは、フジテレビのドラマ「愛という名のもとに」で中野英雄が演じた役名。劇中で首吊り自殺をしてしまう設定が当時衝撃でした。
こうして書いていても、主題歌の浜田省吾「悲しみは雪のように」が脳内再生されています(笑)。

さて仲野太賀は、僕自身は役所広司さんの「素晴らしき世界」での芝居が記憶に残っています。
真面目な所以か不器用で世渡りが上手くなさそうな小説家志望の男。
最初は嫌々ながらやがて取材=仕事を超えて、三上にのめり込んでしまうTVディレクタを熱演されていました。

そんな仲野太賀の近作ということで、石井裕也監督の映画「生きちゃった」を紹介されていて、何故か「これは観なければいけない映画だ」と思い先程観終わったばかり。

石井裕也監督作品と言えばはイチオシは満島ひかりさん主演の「川の底からこんにちは」
とにかく波風を立てないように、そして無気力に生きてきた主人公が、父が病で倒れたことをきっかけに心機一転、やるしかないから!と開き直ることで色んなことが好転していく話をユーモラスに描いている。
男性の僕ですが、何回観ても勇気をもらえる映画です。

映画は高校時代からいつも一緒だった3人組(仲野太賀、若葉竜也、大島優子)が30才になっています。
仲野太賀演じる「厚久」と大島優子演じる「奈津美」は結婚して一人娘がいます。
厚久は書籍倉庫で荷物ピックアップをしています。途中梱包袋に「VB」のロゴが見えたのでバリューブックスかな。
だとすると舞台は長野県上田市なんでしょうか。
3人組の若葉竜也演じる武田も近所に住んでいて日常的に交流があるようです。
それだけだと学生時代のまま仲良く3人で暮らしているかと思いきや、ある出来事をきっかけに、結婚後これまで隠されていた奈津美の本心が明らかになり、そして歯車が噛み合わなくなりどんどん予期せぬ方向へと進んでいき、いくつかの悲劇が重なります。

カバー画像(*)は最後のシーンのワンカットですが、ここへ至るまでの約90分は、奈津美が感情を表に出してぶつけるのとは反対に、厚久は最後のシーンまで、ほとんど感情という感情を顕にしません。
*引用元:「VOD劇場」(https://www.fami-geki.com/vod/movie-ikichatta/

冒頭、中華料理屋の裏?では中国語を、工場跡?の一室では英会話を、厚久と武田が習っているシーンがあります。
ある英会話の授業で、何のために英語を学習しているのかを訊ねられた厚久が自分を夢を「二人で会社を興して、家族を幸せにするために」とつたないながら英語で答えます。
その帰り道「英語だと素直に言えるのにな」という意味のセリフを厚久が言います。
この言葉は最後まで彼に重たくのしかかります。
そして、このセリフそのものが、この映画の主題の1つじゃないかと感じました。

そして、厚久はまさにそのセリフの通り、思っていることを素直に言葉にして言うことが出来ません。
それが理由で、奈津美との間に修復不可能なまでにすれ違いが生じてしまいます。
しかし、高校時代からの付き合いなのに、そういった厚久の性格を奈津美は知らなかったのだろうか?という気がしなくもなかったのですが。

中盤、ある事件に巻き込まれて奈津美が死に至ります。
葬儀に参列しようとした厚久と武田を、奈津美が不幸な目にあったそもそもの原因が厚久と一緒になったせいだと考えている奈津美の母は二人をなじります。
その時、母が武田に言うセリフに「あなたに出会わなければ」という意味のことを言います。
とすると、おそらく高校を卒業してから一度、3人は(奈津美と厚久・武田は)別々に暮らしていたのかもしれません。
そう考えると、奈津美と再会する前に厚久が婚約していたことも、そして、学生時代に楽しく遊んでいるだけの時と、大人に社会人になってから色んな事情があっても、それを口に出して伝えられないという厚久のキャラクタを「学生時代一緒に遊んでいただけの奈津美」が社会人になった厚久の性格をあまり認識出来ていなかったというのも理解出来ます。

厚久の家族、両親と兄もまた「気持ちを言葉にしない」ことにより、家族間のコミュニケーションはほとんどなく上手くいってないようです。
厚久の兄は、そういう家庭で育ったことが原因なのか、社会適合出来ずに引きこもりのようになっています。
食事も家族とはしないのでしょうか、夜中になると台所に降りてきて1人でカップ麺を食べています。
そんな物言わぬ兄ですが、それでもちゃんと弟の様子は見ていて気にかけています。
しかし、思ったことを言葉に出せず行動でしか表せないもどかしさから、兄もまた不幸な出来事を起こしてしまいます。

最後、奈津美の両親が引き取った娘に会うために、武田と厚久が奈津美の実家にやってきますが、娘の姿を見ただけで帰ろうとする厚久に武田がやっとの思いで伝えます。
武田と厚久の間でも、それまで言葉でお互いを表現するよりは、一緒にいて阿吽の呼吸だけで付き合ってきたようなニュアンスがあります。

奈津美と別れることになった厚久が1人になるのがツラいので、武田のアパートに泊まるシーンがあります。
何かあったんだろうという雰囲気は察するものの、何も詳しいことは言わない厚久と、それを問いただそうともしない武田。
そして、武田は「部屋の電気をつけていいか?」と訊ねます。
部屋が暗いと厚久の顔が見えないからだ、と言います。
そうなんです、二人は言葉で伝え合うよりは、これまでは表情や仕草でそれとなく察していたのかもしれません。
唯一、言葉に託せたのは、若い頃に二人でギターを抱えて弾き語りをしていた歌だけだったのかもしれません。

「思ったことは言葉にしないと分からない。それがどんな結果になったとしても、黙っているよりは気持ちは口に出して言った方が良い」

そんな武田が最後に、勇気を出して気持ちを伝えろ、と厚久に迫ります。
俺もちゃんと見届けるから、と。
武田はそれでも「ダメだやっぱり怖くて見れない」と前を向いてしまうんですけどね。
そのシーンが、カバー写真です。

厚久もここで何も言わなかったら、また同じことの繰り返しになってしまうと悟ったのか、これからの人生を後悔しないためにも、という思いからなのか、すごい形相で娘のところへ向かう厚久、それを察して見つめる娘で映画は終わります。
おい、そこで終わるのか!!と余韻がありすぎるわけですが、さて厚久はちゃんと気持ちを娘に伝えることが出来たんでしょうか。
いくら実の父親とはいえ、あの形相と勢いで来られたら、それをもし両親(祖父母)やご近所さんが目にしたら、また一騒動起きなくもないかも、と心配してしまいます。
ハッピーエンドであったことを祈っています。

それにしても、この映画は重くてツラいでした。
石井裕也監督の映画は、最初の方で書いた「川の底からこんにちは」と「舟を編む」しか観たことがありませんでしたが、こんな重たいテーマのシリアスな映画も撮るんだ、と思いました。

関西出身の僕自身の感覚からすると、そんなに追い詰められるまで気持ちを素直に口に出せないというのは、正直分からんなぁと思うこともあります。
むしろ、思ったことを大人げなくもすぐに口に出してきてトラブルになったことが多かった人生です。
「口は災いのもと、まず口に出す前に一回深呼吸する」
そんなことを年始の抱負にしたこともあるくらいです(笑)

その一方で、実際そういう「なかなか思ったことを言葉にできない」人がいることも知っています。
むしろ、実は日本人の多くはそちらの方が多いのかもしれません。
妻も外ではあまり思ったことは口に出さない方ですし、長男もどちらかというとそちらのタイプで、ぐっと飲み込んでしまう方です。
曰く、思ったことを言って人とモメる(ある意見には反対意見もあるから)のが嫌だと言うのです。

「思ったことを言わないことでトラブルを避ける」
「お互い思ったことを言い合うことで誤解を避ける」

どちらがいいのでしょうか。
昔の日本は総中流社会。
隣近所も見知った人ばかり前者がよかったのかもしれません。
だけど、これからは出自の異なる人たちも増えてくるでしょうし、放っておくと「あの人は何を考えているのか分からない」とかえって、警戒心を募らせることになるでしょう。
「何をしているのか知らない人だ」
「何を考えているのか分からない」
というのは、どちらかというと良い結果にはなりません。
言葉の違う異文化コミュニケーションの場合はなおさらでしょう。

普段から、自分の意見を言葉に出して伝える習慣や、子供時代からそういう訓練をしていないと、溜めて溜めていざとなってはじめて「ドカーン」と言うので、言った方も聞いたほうも取り返しつかなくなったり、
「言わなきゃ良かった」
となるほどに後々まで人間関係に尾を引くとか。
「意見は意見、人格とは別」
当然のことになるように、普段から言葉に出して意見を言いあう、そんなコミュニケーション文化が醸成されることを個人的には願っています。

そんなことを考えさせてくれたドスーンと来た映画でした。

尚、2022年6月24日現在、Netflixでも配信中です。

https://www.netflix.com/jp/title/81494868

それでは!


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