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自動車レースマニアでなくても何度も観てしまう映画 『フォード vsフェラーリ』

『フォード vs フェラーリ』3度目の鑑賞をした。
最初は映画館、配信で2度。
何度観ても最高に面白い。
どうしてこんなに惹きつけるのだろうか。
フォードにもフェラーリにも、自動車レースにも特別な思い入れなんてないのに。
その理由を少しまとめてみたい。

2019年製作/153分/G/アメリカ
原題:Ford v. Ferrari
配給:ディズニー
劇場公開日:2020年1月10日
監督:ジェームズ・マンゴールド
主演:マット・デイモン、クリスチャン・ベール


『フォード vs フェラーリ』、なんてベタなタイトルなんだ、邦題にしてはひねりも何もないじゃないか。
そう思っていたら、原題も同じ『Ford vs Ferrari』だったんだ。
映画は実話に基づいた話で海外の自動車レースファン、特にル・マン24時間耐久レースについて、またレーシングカーに詳しい人ならば知っている話なのだろう。
なので、邦題もあえて凝ったタイトルにしなかったのかもしれない。

ストーリーはとてもシンプルだ。
60年代の半ば、アメリカ国民の生活にとって「四輪自動車」を無くてはならないものとし、アメリカが自動車産業の先頭に立っていた時代。
GM、クライスラーとともにビッグ3と呼ばれていたフォードは、創業者のヘンリー・フォードからフォード2世に経営が移り売上が低迷しつつあった。
再びフォードを輝かせるためには、オートレースでフェラーリに勝つことだと、特別なレーシングチームを作ることになった。
その指揮を任されたのが、マット・デイモン演じる元レーサーでカーデザイナーのシェルビー。
シェルビーがフェラーリに勝つためのドライバーとして選んだのがクリスチャン・ベール演じる英国人ドライバーのケン・マイルズ。
さて、彼らのチームは苦難に立ち向かい新しいレーシングカーを開発し、ル・マン24でフェラーリに勝てるのか?

2時間30分かけた物語では、物語前半1/3ほどでシェルビーがチームを作るまでを描き、後半が圧倒的なレースシーンを随所に挟み、レーシングカー開発の過程を描いていくが、やはりそのレースのシーンは圧巻だった。
映画館で観た時はそのモーター排気音の響きが相乗効果を産んでスクリーン一杯に広がるカーレースの迫力が圧巻だったが、2度、3度と自宅のテレビ画面で鑑賞してもその感動は変わらなかった。

カーレースの詳しいことは知らないが、すべてをコンピュータ制御された現代の緻密なレーシングカーと異なり、60年代はまだかなりアナログだったであろう自動車開発。

映画でもマイルズが最初にフォードの車で走ったデイトナ24の試合では、レース開始早々ドアが閉まらないままでコースを1週して、ピットに戻ってきた車のドアをハンマーで叩いて閉めるというシーンがあった。

今なら考えられないことだが、おそらくそんな時代だったんだろう。
それでも、最高速度が時速400kmにも達する車は、あちこちで悲鳴を上げながらギリギリの状態で走っている。
いや、走らせているのは熟練のドライバーだ。

「回転数7,000の世界。そこではすべてが消える。マシンは重さを失い、無となる。残されるのは、時間と空間を移動する肉体だけ」

一歩間違えば簡単に大事故に繋がる状況で、ブレーキや車体、エンジンの状態に耳を澄ませて身体で感じながら猛スピードでコーナリングを決めていく。
まさに暴れ馬を操っている騎手のようなレーサー達。

これはもう普通の人間とはかけ離れた動体視力とテクニック、そして並外れた集中力と精神力、根性、勇気、そうしたものをすべて持ち合わせた選ばれた人間だけが勝利を得る。

きっと、車好きでもレース好きでもない僕のような人間がこの映画に惹きつけられる理由は、そんな世界を映像から見せてくれるからだと思う。

本来カーレースとは、並外れた能力の人間とそれを支えるレーシングカー設計開発とエンジニアリング。
その2つが無いと成り立たないのだろうが、この映画では人間ドラマを主体に描いているため、自動車マニアでない者にも取っつきやすい映画になっているんだと思う。

セリフのところどころで、試作車に乗るマイルズがあそこをこうした方がいい、とアドバイスをしていくが、あえて映画ではそうした自動車開発のエンジニアリングには深くは突っ込んでいかない。

なるほど、そうした細部にまでこだわっていかないと、あの7000回転の高速世界では、自動車そのものが保たないんだな。
その程度の感想であえて留まれるので物語に入っていきやすい。

さらに自動車・レースマニアには申し訳ないが、才能あるタレントと組織の力学の葛藤が人間ドラマのもう1つの主題として描かれるところも入りやすい。

この物語での本当の敵はフェラーリではなくフォードという大組織の中で2世の権威を笠に着て自分の保身とプライドで動く副社長である。
「シェルビーアメリカチーム vs フォード副社長チーム」

マイルズはそのドライバーとしての才能の見返りとも言える強烈な個性により敵も多い。
そしてその彼の個性は組織の中での力学を物差しとする副社長とは水と油で、数々の妨害を受ける。

新生フォードとしての2度目のル・マン24レースでドライバーとして出場することになったマイルズは首位を独走して優勝を目前にしていたにも関わらず、
「フォード車3台が一緒にゴールをするシーンを写真に残したい」
と副社長から「マイルズに減速させろ」という指示が出る。
これまでマイルズをなだめながら、シェルビーチームとしてレースを続けるために理不尽な妨害にも緩衝材として組織と板挟みになってきたシェルビーも、
「レース中はドライバーのマイルズの意思が優先される」
とその指示を断る。
ところが、ラスト周回ゴール目前でマイルズは個人の優勝ではなく、チームワークのため減速をしてフォード車3台同時ゴールを選択する。
そして、そのシーンに感動する。

おそらくマイルズはこれまで個人として好き勝手にやってきて、決してそれは良い結果をもたらしていなかったのだが、シェルビーとフォードチームとして働く中で、個人としてのスキルを最大限発揮出来て充実した生活を送っていたその陰で、シェルビーが組織と闘ってくれていたことも見て感じていたんだろうと思う。
そして、最後にその感謝を、それが意に沿わないことだったとしてもチームに報いるという形で表した、その心の動きに感動する。
しかし、そんな純粋な個人の心意気も残念ながら組織の中で成功している人間達にはなんということもなく、あっさりと他の人間に優勝を盗まれてしまうのだが、単なる感動話として描かない、現実社会の残酷さを描くところも素晴らしいし、本当に見ていて腹立たしい。

ベースとなるマイルズとシェルビーの物語は実話に基づいているため、決してハッピーエンドとしては結実しなかったのは残念だけど、それでも最後のル・マン24での負けたけれども真には勝ったとも言えるマイルズとシェルビーのチームの姿は、心地よい感動をもたらしてくれた。
それが、60年代の激しいカーレースの世界を描きながら、自動車マニアでなくても共感しながら何度もリピート鑑賞してしまうポイントではないだろうか。

<了>

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