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やっぱりアバンギャルドな映画だった『箱男』

第一印象はアバンギャルドだなぁ。
監督の作風がアバンギャルドなのか、原作がアバンギャルドなのか。
多分、どちらもそうなんだろう。

安部公房の原作『箱男』を石井聰亙もとい石井岳龍監督が27年ぶりに映画化した作品。

いつの間にか石井岳龍と改名されていた石井聰亙監督。
僕と石井聰亙監督は交わるところはなかった。
『狂い咲きサンダーロード』も『爆裂都市』も『逆噴射家族』もどれひとつ観ていない。
いや避けてきたという方が近いかもしれない。

『狂い咲きサンダーロード』も『爆裂都市』も10代の頃。
当時愛読していた宝島あたりで紹介されていたような気がする。
なので、ハードコアパンクやそういったまだ見ぬアンダーグラウンドな東京のロックシーン、暗くて、激しくて、(身体的に)痛そうな、そんな連中と同じような匂いがして、ハマるとやばそう、これは近づいちゃダメなやつだ。
そんな風に勝手な印象だった、と思う。

町田康原作の『パンク侍、斬られて候』はもう少しで観るところだった。
初石井聰亙体験だったはずだが、ただ単に上映期間中のタイミングが合わなかっただけだが、
これもよく考えてみれば原作の町田康はロックバンド「INU」で『メシ喰うな!』でデビューしたお方なので、怖いもの見たさで宝島を読んでいたその時代と同じじゃないか。
幸いにも、町田康は文学の道へ進まれて、その作品はやはり現代文学のセオリー無視のぶっ飛び方でまさにパンクを地で行くようなものだが、
こちらも年齢を重ね、少々のことでは動じなくもなり、しかも文学の世界だと言うことであればと案外すんなりと受け入れ、いや愛読するようになったのだった。

そして、本作『箱男』が石井聰亙初体験となったわけだが、こちらも入口としては安部公房原作だというところ。
大昔に読んだだけだったが、原作があるのであればよほどおかしなところには行かないだろうという安心感も安心感も若干あった。

何より、予告編の印象が強烈だった。
これは観ねばならない。
そんな強迫観念に囚われそうな予告編だった。

冒頭、いきなりのモノローグも消し去るほどの爆音で鳴らされるフリースタイルのドラム、粗っぽい画質で映し出される箱を被って街を徘徊する"わたし"、箱に開けた穴から世間を覗く、特に女性の脚に執着している”わたし”。
演じるのは顔を赤と黒(と緑?)でペイントした箱男の中の人が永瀬正敏。

うひゃぁ、やっぱりパンクだし、ロックだし、なんて格好いいんだろう。
それが第一印象。

その箱男を執拗に追いかけて襲ってくるホームレスらしき刺客。
なぜ彼が箱男を襲撃するのか全く意味も解らないまま対決シーンへと。
もう一人は望遠レンズとライフル銃で遠距離から狙っている男。
彼がもう1人の箱男になるニセ医者が浅野忠信。

"わたし”もこの辺りまでは箱から手だけ出してコンパクトカメラで相手を撮影することで反撃するのだけど、それ以降はカメラはほとんど出てこなくなる。
カメラマンの"わたし"が箱男に完全になりきってしまったので、もはやカメラすらも必要なくなったのか?
興味ある対象=被写体を四角く切り取ったフレーム越しに観察する、それをカメラマンが撮影するモチベーションなのだとしたら、箱から覗くだけでもいいのかもしれない。

そして、"わたし"はカメラのフィルムに記録するのではなく、ノートに言葉で記録する。
ただし文字で記録するのは対象物についてではなく、その時の自身の精神状態を書き殴っているようだった。

そうか、カメラで被写体を撮るという行為とは、被写体を通して自分自身の深いところへ入っていく行為なのか。

あたり前のことだけど、映画監督が作品を撮影するということを通して、または作家がテキストで綴る物語を通して語るのも、まさに村上春樹が自著で表現していたけれど、自分の精神世界の深いところへ降りていって何かを掴みだそうとする行為なのだな。

映画は前半は疾走感もあってかなり楽しめたが、古い病院に舞台が移りニセ医者と佐藤浩市演じる軍医の物語がメインとなってくると途端につまらなくなった。
なぜニセ医者が箱男を追いかけるのか、そしてなぜ彼もまた箱に取り憑かれて次の箱男になるのか、という話なのだけどあまり入り込めなかったかな。

疾走感がなくなった反面、アバンギャルドで先鋭的な部分が立ちすぎてしまったからなのかな。

謎の女葉子を演じる白本彩奈がとても印象的だった。
そこまで脱いでいいのかというシーンもあったけれど、インティマシーコーディネーターのクレジットがあったのであぁちゃんとしてるんだなと思った。
彼女は以前も何かで見たような記憶があるけれど、メインのキャラとかではなかったのだろう。
これから色んな作品でもっと出てくるだろうなと思った。

それにしても、永瀬正敏は独特の雰囲気を持ったいい役者だなと再認識した。
ジム・ジャームッシュの『パターソン』での一瞬だけの登場シーンもそこだけ雰囲気が変わったし。

映画ラストは箱男の視線の先、あるいは箱の中か、それらがメタ視点になったシーンで、なんだか『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を思い出した。

匿名性を維持したまま覗くものと覗かれるもの。
ここはストレートに表現することにしたのか。

初石井聰亙もとい石井岳龍作品はそんなに怖くなかったので、U-NEXTで配信されている過去作にも触れてみようと思った。

<了>

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