キラキラしたのんに笑顔と元気をもらえる映画「さかなのこ」
上映時間139分と少々長めではあるが、全く飽きさせずに最後まで魅せてくれた。
のんが演じるミー坊が本当にキラキラしていて本当に素晴らしい。
ミー坊が本当にいるかのように、演じていないかのように自然体で演じていたのんあっての映画だった。
さかなクンが書いた自叙伝が原作らしく、もちろん他の方と同じように、女性ののんが男性のさかなクンを演じるの?どういうこと?
実際に観るまでは戸惑いがなかったとは言わない。
そんな不安を吹き飛ばすかのように、スクリーンいっぱいに黒地に白い手書き文字
「男か女かは、どっちでもいい」
そう宣言して映画は始まる。
小学校時代のエピソードが終わり、学ランで現れたのんを見た瞬間に、
どっちでもいいかも、確かにそう思った。
そして、映画が進むにつれて、そんなことは全く気にならなくなっていた。
そして、そんなさかなクン=ミー坊を演じるのんがとても素晴らしい。キラキラしている。
本当に自然体で、そこにミー坊がいるかのように、まるで演じていないかのように演じている。
いつもののんと言えば、いつもののんなのだけど、やっぱりミー坊だ。
映画の中で心に留まったセリフを2つあげておきたい。
***
「普通って何?」
小学校時代の同級生の桃子がミー坊の家に娘と転がり込んでくる。
東京に出てきてはじめて桃子に再会した時からも既に何年も経っているようだ(だって、最初は娘なんていなかったもの)
久しぶりに会ったら子供を連れているなんて、"普通の"人であれば
「あなたの子?」とか何か尋ねるに違いないが、ミー坊は何も訊かない。
桃子と娘をありのまま受け入れている。
「何も訊かないの?」
桃子の方から、不安になってそう尋ねるが、ミー坊は無邪気に応える。
「え?何か訊いて欲しいの?」
無頓着と言ってしまえばそうなのかもしれないが、ミー坊にとっては
世間体や常識なんて無いも同然で、目の前の人物をそのまま受け止める。
ある日、ミー坊と桃子、娘の3人で海へ行く。
浜辺に座っていた桃子がミー坊につぶやく。
「普通じゃないよね、私達」
「普通って?。。。。普通って何? ミー坊はよくわからない」
高校の不良達も、世間の常識という色眼鏡で人を区別して見ないミー坊の前ではなぜか素直になってしまう。
悪ぶってはいても心根までは悪い人間じゃない、本当は友人想いで優しいやつらばっかりだ。
そしてみんな、ミー坊の前では自然体でいられる。
***
「好きに勝るものなしでぎょざいます」
映画のラストシーン、はじめてテレビに出演した時に最後にどうぞとふられて言うのがこのセリフだ。
小さい頃からミー坊は魚が大好きで、格好いいな、可愛いなと魚のことだけを考えて成長してきた。
そして、そんなミー坊を型にはめようとせずに、子供のありのままを受け入れて、信じて見守ってきたミー坊の母親、彼女のその強さには頭が下がる。
親というものは、何かというと自分の子と他人の子を比べてしまうものだ。
良いことも悪いことも。
この子は少し他の子とは違うのかしら?
特に悪いことは、放っておいて下手をしたら、取り返しのつかないことになるかもしれない。
だったら他人と同じように、目立たないように、そう躾けてしまおうとするのが日本人の悪いところだ。
映画では描かれなかったけど、きっといいことばかりではなかっただろう。
だけど、母はミー坊の良いところだけを見て、きっとこの子は大丈夫。
なりたいものにいつかなれるはず。
なかなか出来ないことだ。
最後の方で、ミー坊が自分で壁の絵を描いた高校時代の友人の寿司屋に母親を招待するシーンがある。
そこで母が「私は本当は魚が苦手だったの」と告白するシーンがある。
子供の「好き」を伸ばすためには、自分の好みも脇へ追いやってしまう。
母親の愛情とはかくも大きくて暖かいものなのか。
だから、今のさかなクンがあるんだろう。
劇場公開中は観に行くことが出来なかった「さかなのこ」
配信でやっと観れましたが、笑顔と元気をもらえました。
そして、さかなクン、あなたは凄いよ。
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