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もはやノンフィクション〜映画 『夜明けまでバス停で』

制作:2022年(日本)
 配給:渋谷プロダクション
劇場公開日:2022年10月8日
上映時間:91分
監督:高橋伴明
脚本:梶原阿貴
出演:板谷由夏、大西礼芳、三浦貴大、柄本明、根岸季衣、柄本佑、ルビー・モレノ、etc

痛い、とても痛い映画。

自作アクセサリーの制作・販売という手に職を持つ北林三知子(板谷由夏)は、別れた夫が自分名義のカードで借金をしたために、その返済のため住み込みのパートとして居酒屋で働きながら切り詰めて日々を暮らしている。

そんな時、突然のコロナ禍と緊急事態宣言。
パートは解雇され、仕事も住む家も失う。代わりに見つけた住み込みの介護施設の仕事も施設閉鎖のためなかっことにされてしまう。

人に弱みを見せられない気性が逆に彼女自身を追い込んでいき、気がつくとバス停のベンチで夜を明かすホームレスになっていた。

いよいよ行き詰まった三知子はホームレス生活の中で知り合ったバクダン(柄本明)に爆弾の作り方を教えてもらうが、その時のセリフが印象的だ。

あたし真面目に生きてきたはずです。

今でも爆弾作れますか?
一度くらいちゃんと逆らってみたいんです。

自分の思いをはじめて吐露したシーンではないだろうか。
ホームレスになった後も、自作アクセサリーを販売してくれていたショップの店長(筒井真理子)にも、居酒屋の年若の店長(大西礼芳)にも、折り合いの悪い実家の実兄にも、自分の境遇について助けを求めることが出来ない。
公園で自治体が行っている食料配給にも背を向けている。
こうなったのも自分が悪いのだ、と自助でなんとかしようというプライドだけで踏ん張っているが、貯金が底をついてしまいあまりの空腹にとうとう飲食店の残飯に手を出してしまう。

どうして、そうなってしまうのか。
それまでにもっと誰かにSOSを出すことができなかったのか。
人はなかなかホームレスになってしまったという事実を客観的に認められないのだろうか。
映画を観ているだけでも、居酒屋をクビになり住み込みのアパートを退去したのに、次の住み込み先のはずだった介護施設の話がなかったことにされた時点で、
もう詰んでしまっているのが伝わってくるのに。万事休す。

安倍政権で迎えたコロナ禍は菅政権になって「自助・共助・公助」を打ち出したことで、「まずはお前ら自分で何とかしろ」と国から最低限の生活をする権利も奪われた。
さらに、「持てるもの」代表として出てくる居酒屋運営会社の次期社長のろくでもない御曹司大河原(三浦貴大)には共助の気持ちは一切ない。
「奴らがどうなっても俺には全く関係ない」と言い放つ。
挙げ句に解雇された三知子たちパート3人分の給料90万円も着服してしまうクズ野郎だ。

一時は大河原の愛人として店長の地位を確保していた千晴(大西礼芳)は、困窮する元パート達の姿を見て、自身も彼女たちと何も変わらないんじゃないか、自分は持てるものではなかったことに気づき、冷酷に相対する大河原の悪行を糾弾し退職する。

元革命家でホームレスになった現在も反体制であることを隠さないバクダン(柄本明)と、
息子の柄本佑演じるYoutuberは持てるもの側として、ホームレスを社会のゴミだと糾弾している対立関係にキャストしているのは制作者サイドの遊びココロだろうか。

監督の高橋伴明さんの意思なのか、脚本の梶原阿貴さんの意思なのか、
あくまでも権力側、持てるもの側への視線は徹底的に厳しい。
ホームレスになる人達は彼らに非があるのではなく、あくまでも真っ当に正直に生きていただけでも、ひょんなことから転落してしまう、
そんな危険性が今の日本社会にはある、それは社会の、システムの、政治の問題だとして描いている。

同じく三知子が公園で知り合ったセンセイと呼ばれる男が寝る前に祈りを捧げる姿を見て尋ねる、何を祈っているのかと。
「明日こそ、目が覚めないように祈っている」
ツラい、何というツラい現実。

ラストシーンで柄本佑演じるYoutuberの言説に影響されて、バス停のベンチで夜を明かす三知子を社会のゴミとして排除=殴り殺そうとしていたところ、
間一髪で三知子の身をずっと案じていた元店長の千晴に助けられて本当によかった。
彼女は大河原から取り返した退職金を携えて、また自身も会社を辞めたことを伝える。
ほんの些細だけど、明日への明かりが見えたシーンだった。

これはもはやノンフィクションではないだろうか。
今の政治システムを続けている限り国民に未来はないと思う。

<了>

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