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自分の美術歴と漫画家を目指していたころのこと

こんにちは。船津です。
考えてみると私はとても長い時間、日本の美術教育を受けてきました。

挙げてみると

・小学生低学年、お絵描き教室。
・中学生、美術部
・中学2年、地元の油絵教室(一年間)
・中学3年、美術専攻の高校を受けるための美術予備校(一年間、週一回)
・高校から美術専攻の高校。(三年間)
  高校生二年から美術予備校をかけもち(週一回)
・浪人し、美術予備校を継続(一年)
・美術大学油絵科4年(ただしほとんど絵を描いていない)
美大卒業後はゲームソフト開発の会社に入社してコンピューターグラフィックを習いつつ働いていました。
・その後、漫画家なるために漫画家のアシスタントを始めるがすぐやめる、
・イラストレーターを目指してセツモードセミナー(二年)
・デザイン会社が主催する実践的なイラスト教室(二年)
・イラストレーターとして10年程仕事をする。
・福井真一さんのイラスト教室、その他イラスト教室をもうひとつ。
・最終的に青山塾(二年)

なんでこんなに学校に通っているのか??
人よりお金も時間もかかっていると思うし…
これから元を取るためにがんばります!!
おかあさん、ありがとう!

漫画家を目指していたころのこと


ちなみにですが、大学を出た後に漫画家を5,6年?目指していました。
大学を出る間際にち〇てつや賞という講〇社の佳作というありがたい賞をいただきました。
授賞式では、トロフィーと 結構な賞金をもらいました。(まだ若干バブリーでした)

ちばて〇や賞のトロフィーは、二頭身のち〇先生がにこやかな笑顔で左手で頬杖を、そして右手にペンを握っている、輝かしいブロンズ像なのです。
かわいらしい見た目ですが、持ってみると ずっしりと金属製の重みを感じ、そのギャップに驚きました
何故か私だけ、トロフィーを入れる箱をもらい忘れ、そしてバッグが小さくて入らなかったので、素手で持ったまま授賞式後のパーティに向かい、
その後移動して、二次会と三次会があって、終電ぎりぎりの
フラフラで帰るときにちょっと思うことがありました。


こんなバチ当たりなことを思った罪でしょうか。
私は何年たっても漫画家デビューできずに、イラストレーターに転向しました。それはそれでよかったと思います。

今も実家のどこかにこのトロフィーがありますよ!

今日ももありがとうございます。
またお会いしましょう。


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