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市橋織江 写真展「サマーアフターサマー」を観に行く
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新宿北村写真機店ギャラリーで、「サマーアフターサマー」展、トークショーを拝見してきた。
市橋氏は誰もが「あ、見たことある!」CM中心に活動する有名な写真家。表現は「夏の生き生きした光を導く」どこから懐かしい曲が流れるような写真、そんな印象だ。
あらゆる生命の力強さ、希望に似た光景。それは決して対極の激しいコントラストで表現するのではなく「生きることは美しい」その一点表現に尽きる。当たり前だけど、僕らが目を背けがちな素直な表現である。その独特な感性は、どこか懐かしく、心の奥に忘れていた思いを僕に蘇らせてくれる。
「ここで生きる」
市橋氏がこの写真で表現していること。生きていることを映す深いテーマであり、永遠の課題なのかもしれない
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使用機材はネガフィルム。撮影は市橋氏一人で松本市に降り立ちゆっくり町を歩くスタイル。それはきっと市橋氏が昔聞いた音楽から影響された「誰もが想像するふるさと」を表現しようとしていること。表現は写真という枠じゃなく「昔聞いたことがある、名を忘れた曲」といった僕らの経験則に訴えてくる手段なんだと思う。
構成は写真全体は暖かい木枠。すべてにおいて「生きている証」の手触り。写真表現を通して「生きる美しさ」という作者の概念を写真に載せて伝えているのだ。僕らが忘れかけていたものを ふと、連れて帰ってきてくれたような写真たち、そこには「生きている」が詰まっている。
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トークイベントではいろいろな話を聞くことができた
写真展と同時にトークショーが行われた。そこで作者から語られたのは
初めは写真集を出そうという気持ちではなかった
使われている機材はすべて35mm中古カメラ
レンズ画角はすべて28㎜。できる限り開放撮影
28mm画角はレンズ表現として難しい部類。広く見える分、必要以上の情報が映る。都会なら理解できるが、松本市のような盆地では高低差が無く聳え立つ建物もなく難しい。なのに、それを意図せず写真として表現してしまう。捉えるものがはっきりしているからなのだろう。
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「私はポスター写真家になりたかった」
意外な告白に皆驚いていた。それは写真の中にちりばめられる言葉で理解することができた。載せられる文字も写真表現の一部なのだ。
トークショーから感じたことは撮影に対して「ここで生きる」という意味を写真で表現していることだ。それはどんな土地であっても抱えていることであり、歩んでいることだ。そこにしかない経験を伝えることは容易ではない。ときに厳しさや理不尽もあるだろう。けれどそれを隠さずに「生きることは美しい」と表現することは、表現者としての責務。そう強い意志を市橋氏から感じた。
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僕らはそろそろ 素直に生きることを美しいと感じていいんだと思う 司会者である写真家渡部氏の優しい語り口と 市橋氏のゆっくりだけどはっきりした言葉 「写真家は言葉が大事」といった渡部氏の言う通りな内容、写真と言葉の関係を考えさせられる時間だった。
松本市で撮影したときに撮られた誰かが吹いた口笛、僕にも聞こえた気がした。
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