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追悼・坂本龍一・・・想い出がありすぎて・・・全23話 その3

前回の記事の最後は、次のような終わり方でした・・・

<音楽を勉強していた私は「良い音楽、聴くに値する音楽、演奏するに値する音楽を、提供してくれる人」を、たくさん求めていました。坂本龍一は、その中の1人。>・・・という感じです。

だから、「聴くに値する」事を期待して聴いても、快感が得られなかった時は、「んんんん~~ッ💦💦」となっちゃうんです💦💦

<はじめのうちは、どうだったのか>

このように終り、今回の記事は上記の<はじめのうちは、どうだったのか>と始まる予定でしたが、変更して、坂本龍一と私自身の、病気、というか、闘病というか、今回は、あるいは今回だけでなく次回もですが、そういう、お話にさせてください🙇

理由は単純明快です。私自身が先日「入院、手術、退院」という経験をしたからです💦 こういう経験をして、かつて坂本龍一がテレビその他のメディアで言っていた事が、単なる言葉上の表現でなく、切実な実感を伴って、「ああ、こういうことか、坂本龍一も、このように苦しんでいたんだ」と判るようになってしまったからです💦

「入院、手術、退院」ということ

坂本龍一は癌でした。命を奪うような状態の癌でした。そして言っていました・・・「入院して、手術して、退院してくると、その度に体力がガクッと落ちて・・・」、「癌だと知らされて、死期も告げられて・・・でも現実感がない」

「入院、手術、退院」というプロセスが、いかに大変であるかは、おそらく経験した人でなければ、ハッキリと認識する事は難しいと思います。本当にいろいろと大変でした💦 そして、「ああ、坂本龍一もこんなふうに大変な思いをしたんだなあ・・・」と思いながら、私も手術に臨んだのでした💦

全く同じことを経験したワケではありません。私の病気は癌ではなく、命の危険もありませんでした。病名は緑内障👆・・・手術によって、眼の状態が回復するワケではありませんが病状の進行を止める事ができます。しかし、行きつけの眼科の先生に「放置すると失明してしまう」と言われ「準緊急」とまで言うので、すぐ別の病院に行って入院手術の手続きをすることになりました。

行きつけの眼科医は、私が思うに名医ですが、その病院には入院施設がないため、入院の必要な緑内障の手術は、別病院に行くしかなかったのです。

次の日の朝、紹介状を持ってその病院に行き、「予約がない方は・・・」と言って追い返されそうになりましたが、何とか必死に食い下がって、診察を受けさせてもらえることになりました💦 

対応してくれた先生は、大変若く(少なくとも私にはそう見えた)紹介状に書かれている宛名の先生(つまりこの人が手術名人)ではありませんでしたが、極めて誠実で、患者本位に対応してくれる、素晴らしい眼科医でした。若いのに、知識と経験も豊富なのが判り、極めて優秀な先生であることが、すぐに判りました。今現在も、この素晴らしい先生の所に通院しています。

この病院、名前は出しませんが病院自体が素晴らしい病院だと思いました。ちなみに私は、病院については、私自身も、家族も、いろいろな病院を経験し、良い病院もあれば、本当にヒドイ病院もある事を知っています。自分が入院して手術してもらう病院が、このように素晴らしい病院で良かったと、大変嬉しく思いました。

ああ、もう1400字超えですね💦 この続き、は次回に回すことにさせてください🙇 やはり長くなってしまいそうです💦 ではまた次回、お会いしましょう(^_-)-☆👆

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