安嶋健太郎 ピアノリサイタル 全4話その6(ん❓4話のはずでは・・・いったいこのシリーズ、いつ終わるんだろう(笑))
2023年12月3日(日)銀座 王子ホール
前半、まるで絵に描いたように美しく優しい、そして、見事に年代順に構成された、ロマン派のプログラム
1 ショパン・・・甘く、優しく、でもこの曲の旋律は悲しげ・・・この曲ではひたすら、甘く美しい音色のみで音楽が構成されていました👆
この曲は嬰ハ短調👆 前半最後の「鐘」に向け、同じ嬰ハ短調で、時間の向こうへの共鳴を超えた共鳴・・・リサイタルの前半は「嬰ハ短調」という「音の色」で彩色👆♬
D-274の主砲「ドゴーーーン」は、まだ鳴りません💦(笑)
では、次の曲ではどうなったでしょうか・・・んっ❓❓❓
んっ❓❓❓これは・・・
リサイタル当日、受付で配布された曲目表を、もう一度見てみましょう👆
上記のプログラム、作曲家の名前を上から順に並べてみましょう👆 すると
ショパン シューマン チャイコフスキー ラフマニノフ
です👆 クライスラーが挟まっているとはいえ、この編曲をしたのは、つまり譜面を書いたのはラフマニノフです♬ なのでラフマニノフの譜面です👆鋭い人は、もうお気づきのはずです👆
これに作曲家の生年を加えて見ましょうか👆
ショパン 1810年3月 シューマン 1810年6月 チャイコフスキー 1840年 ラフマニノフ 1873年
ちなみにクライスラーも1875年で、ラフマニノフのすぐ後です👆
このリサイタルのプログラムは、見事に年代順に並んでいます🎉 音楽の歴史は、時代が新しくなる度に和声が複雑化してきました👆演奏会、コンサート、リサイタルなどで曲が並ぶ場合、人間の聴感上、自然な印象の音の流れを作るためには、最初はシンプルな和声構造から始まり、徐々に複雑な和声構造に移行するのが、快感を生みます👆
これは、コース料理と似ています👆 東洋でも西洋でも、最初に出てくるのは味が薄く、すぐに口の奥へ流れる料理が、気持ちいいです。そして料理が進むにつれて、少しずつ味の濃いものになってゆくと、自然で、美味しく、そして心地よく感じられます👆
私など、プログラムを組む時、曲感と調性くらいしか考えずに組んでしまいますが、安嶋健太郎はそんなレベルのピアニストではありませんでした💦 実に見事に、各曲の味わいを最大限度に感じられるように、曲を選び、並べてあることが判り、そこにもまた感動がありました🙌(^_-)-☆🙌
各曲を見ていきましょう👆
私なりの感想(笑ってください)・・・色彩的な感想と、音の感想を加えて
1 ショパン:レント・コン・グラン・エスプレショーネ 嬰ハ短調
色調:紫 主砲発射(「ドゴーーンという低音」)なし(笑)
2 シューマン :幻想曲 ハ長調・・・リストに献呈された大曲
色調:アンバー 主砲発射なし
3 チャイコフスキー:「四季」より10月「秋の歌」
色調:青 主砲発射なし
4 チャイコフスキー:「四季」より11月「トロイカ」
色調:オレンジ 主砲発射なし
5 ラフマニノフ :舟歌 ト短調
色調:紺 主砲発射なし
6 クライスラー/ラフマニノフ:愛の悲しみ
色調:緋(スカーレット) 主砲発射なし
7 ラフマニノフ :前奏曲 嬰ハ短調「鐘」
色調:紫 主砲発射なし、ただし副砲斉射あり
色彩の感じ方は、あくまで私の主観ですが、私は上記のように感じました👆 1、3、5、7の奇数番号は、紫、青、紺、紫と、寒色系曲感が配置され、2、4、6の偶数番号には、アンバー(琥珀)、オレンジ、スカーレット(緋)という暖色系曲感の曲が配置されていました。
作曲家はキッチリと年代順に配置され、曲の色彩感は、寒色と暖色が交互に配置され、最初の曲と最後の曲は、同じ嬰ハ短調、色彩感も紫で同一・・・これぞ究極の「変化と統一の黄金バランス」、私はそのように感じました👆こういうプログラムが組める人・・・やはり安嶋健太郎は「本物」です👆
でも、私がD-274の大きな特徴と感じている、低音強打時の音である、主砲「ドゴーーーン」は、とうとう最後まで鳴りませんでした💦(笑) 最後の曲の「鐘」では、鳴るかな❓鳴るかな❓とドキドキしながら待っていたのですが、鳴ったのは、主砲より少し小さい副砲の「ズドーン」という斉射でした(笑)
その理由は、後半のリストで判ったのですが、・・・あ、その前に、後半を予感させる出来事が、この「鐘」ではありました👆 中間部、早い3連符があるのですが、この3連符、あまりに早すぎて、私の耳では1音1音が明確には判別できませんでした💦💦・・・音楽は明確に伝わってくるのですが、連符の一つ一つの音は、早すぎて判別できなかったんです💦💦
実はこれ、後半のリストが恐ろしいことになる、という前兆だったに、違いありません💦
また長くなってしまいました💦・・・後半のお話は、次回、お楽しみに(^_-)-☆👆
世の中の残酷な真実・・「本物は10分の1」という真実 その6
今の日本の作曲界、親の七光りや、その他のコネクションのある者だけが、よいポジションを独占し、その者たちは才能も実力のない場合が殆どなので、そいつらは才能も実力もある人たちが表舞台に上がられると困っちゃうので、「本物」の人たちを排除しにかかるんです💦 ああ・・・💦
作曲界は、そこまで落ちてます👆 しかし、実は作曲界よりも、もっと腐敗して、もっと実力と無関係の分野がある事をご存じですか❓ 今日は、それを暴露しちゃう回です(笑)🎉 それは・・・
指揮者の世界です👆
私は、ピアノや作曲と違って、指揮者のコンクールには出た事がないので、あまり大きな事は言えないのですが・・・まあそれでも、プロの交響楽団を振った事がないでもありません♬ ハッキリ言って指揮者って、あまりコンクール成績とかに左右されない職種みたいです👆
まあ、指揮者のコンクールって、要綱を読むと、耳の良さを判別、評価するコンクールであって、本人の音楽性そのものを評価できるような体制には、なっていないみたいです💦 最後にオケを振る機会はあるものの、基本を踏まえてさえいれば、そうそう変な音は出て来ませんね。なんせ演奏するのは、プロのオケなのであって、指揮者本人ではないので・・・
そう、これが問題なんです💦💦何が違うのかというと、演奏のコンクールや、作曲のコンクールと、次のように違うんです💦💦
演奏コンクール・・・作品は大作曲家の「本物」、演奏するのはコンテスタント本人、これでは、演奏段階でのゴマカシは効きません👆ごまかしができるのは、審査段階からです👆
作曲コンクール・・・作品はコンテスタント本人のもの(最近は、これすらもゴマカシて、他人の作品を出品してくる輩もいるそうな)だが、演奏は、コンテスタントにやとわれた腕利きのプロ👆はい、演奏が上手だと、ヒドイ曲でも「いい曲」に聴こえちゃう場合があるんです💦
・・・音楽の良く判っていない審査員が聴くと、これでも「いい曲」と判定されてしまうことがあります👆つまり演奏者さえ上手なら、ヒドイ曲でも賞が取れたりします👆なので、実力のない作曲家たちは、血眼になって、よい演奏者を頼もうとします👆
指揮者コンクール、というか、指揮者の世界・・・演奏される作品は、本物の作曲家の本物の作品👆そしてそれを演奏するのも、本物のオーケストラだったり本物の演奏家だったり👆・・・どうです❓ もうお気づきですね
つまり指揮者が、どうしようもない無能であっても、よい作品を良い演奏家が演奏してくれるんです👆そこで棒を振り回してる誰かが、何の能力もない人だったとしても、よい作品の美しい演奏が聴けてしまうんです👆
もちろん「本物の指揮者」もいます👆10人に1人くらいですが(笑)でも、世間で有名になっている指揮者の殆どは「音楽が判っているとは思えない」だったり「棒の振り方の基本が全くできていない」だったりです。皆さん、テレビで棒を振っている指揮者を、よく見てみましょう👆 棒がちゃんと、手の延長になっていない人が殆どです👆 また、顔に、妙な作り笑いを浮かべていたり、下半身が上半身と手の動きをスポイルしていたりする人・・・こういう人は・・・
そして、作曲家と同じく、ここでも「親の七光り」という項目が絶大な威力を発揮するんです👆コネクションもです👆 ああ、嘆かわしいことです💦💦
ただし、この記事シリーズを読んでくださっている安嶋健太郎関係者の皆様は、ご安心ください(^_-)-☆👆何度でも言いましょう👆
安嶋健太郎は数少ない「本物」の審査員そしてピアニスト❣
恐縮ですが、私事を少々・・・その6
昨日、15年ほど愛用していた、自分の部屋の電子ピアノとお別れしました😿
電子ピアノとはいえ、自分の小さな部屋に置くのは便利で、夜中でも弾けるので、重宝し、毎日弾いて・・・つまり愛用していたんです👆
長年弾きましたので、どうしても鍵盤奥のセンサーと鍵盤のダンパーにダメージが・・・とうとうご引退、新人ピアノと交代する事になりました💦 想い出深いピアノ、部屋から運び出され、トラックに載せられて去っていくのを見ると、悲しかったです😿
昨夜からは新しいピアノとお付き合いです👆・・・いい音を出してくれますが、鍵盤はまだ私の指の感覚と、マッチングしてません💦 ペダルのタッチも、まだ違和感があるので、これは今日調整を始めました👆
さて、新しいピアノに嫌われないように頑張らなくちゃです🎹
今日も練習の最後は「戦場のメリークリスマス」♬
私はあと何回、クリスマスを迎えられるのでしょう・・・
あいう
数少ない「本物」のピアニスト・安嶋健太郎
あいう
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?