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新米記者が見た検察①腫れ物

黒いハイヤー

東京・霞が関に東京地方裁判所という建物がある。夕暮れ時になると、この裁判所の脇の道に黒いハイヤーがずらっと並ぶ。東京地検特捜部を取材する通称「P担」(ピー・タン)の記者たちが夜回り取材で乗る車だ。

入社1年目、筆者は通勤で電車に乗った記憶がほぼない。すくなくとも週5回、朝、晩は必ず黒いハイヤーに乗り、検事宅、被疑者宅などを訪問取材した。自宅訪問が難しい場合は路上で声をかけた。何度、警察に通報されたかわからない。

過熱取材

2008年当時、PCI(ピー・シー・アイ)という土木系コンサル会社によるベトナム向けのODA(政府開発援助)などにからんだ汚職事件が世間をにぎわせていた。

特捜部は関係者に幅広く事情聴取し、詐欺や特別背任などの罪状で捜査を進めていた。事件を指揮していたのは、「鬼軍曹」のあだ名で知られていた特捜部のX副部長(当時)。机をバタバタたたいて自白をせまるような剛腕検事だ。

筆者のミッションは、水面下の捜査情報をつかむことだった。東京の多摩地区にあったPCI幹部宅に通いつめた。いまとなっては反省するばかりだが、朝、昼、夕、夜問わずインターホンを鳴らした。居留守をつかわれているのか、不在がつづいた。

ところが、他の取材ルートから聞こえてくる話では、特捜部によるこの幹部への事情聴取は大詰めを迎えているとのことだった。

焦った。とにかく捜査状況をつかまねば。インターホンを鳴らす回数が増えた。

初取材に成功も…

週末の昼間だったと記憶している。いつものようにPCI幹部宅のインターホンを鳴らすと、本人がでてきた。はじめてだ。ドキドキした。

待ち焦がれたひとの異様な姿を、いまでも忘れることができない。巨大な赤いこぶのような腫物が、だらんと顔からぶらさがり、目がうつろだった。

「すみません。聴取続きで体調がよくなくて。そっとしておいてくれませんか」

ことばをかえせなかった。

まもなくこの幹部は逮捕された。

胸を張る特捜検事

検察は捜査段階においては、まともな情報はくれない。基本的に「捜査中」の一点張りだ。そのかわり、起訴のタイミングでは、事件の概要を記者にレクチャーする。

霞が関の検察庁舎にあるX副部長の部屋。ふだんは筆者の質問にまともにこたえないX副部長が、この日はご機嫌だった。PCI事件が節目である起訴の日を迎えたからだ。

「ぜひ日経も事件の意義を書いてよ。これは国境をまたいでマネーを不正にロンダリングした特異な事件なんだ」

記者にとって、取材先がたくさん話してくれると素直にうれしい。ましてや新米記者、舞い上がるのもむりはない。X副部長の部屋からでた直後、はやる気持ちで先輩に電話した。

どんでん返し

その後、PCI事件は急展開する。特捜部が特別背任で起訴した事件が、東京高裁の判決によって逆転無罪となったのだ。刑事裁判の有罪率が99%をこえる日本で事件が覆されるのは珍しい。

なぜだろうか。「検察はやりすぎたんだ」。こんな解説を筆者にしてくれたのは、あるベテラン記者だ。

検事(この場合はX副部長)があらかじめ事件の筋書きをつくり、そのストーリーにそって被疑者を取り調べ、供述内容を調書にまとめる。その一連のプロセスがあまりにも検察に都合よくできすぎていたということだ。裁判所にそこを見咎められた。

この世界では「言ってないことが取り調べ調書に書かれる」とたびたびいわれる。検事の筋書きと異なる供述はニュアンスが変わりやすい。想像してほしい。とてもこわいことだ。

苦い記憶

ときどき、PCI幹部の苦悶の表情を思い出す。検察とメディアがつくった当時の熱狂はいったいなんだったのか。その一翼を担ったという後味の悪さが筆者にはある。

2020年現在、PCIは消滅し、X副部長は最高検の幹部になっている。


◇今後の連載予定◇

第2回「深夜の牛丼」

第3回「居酒屋での誘惑」

第4回「黒川さんのこと」


               




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