見出し画像

note再開にあたって、考えたこと

久しぶりにnoteを書こうと思って編集画面を開いた。過去の投稿はすべて非公開にしたが、以前ここで書いていたのももう4年も前のことらしく、懐かしさと一緒にくらくらとした羞恥心を自覚した。

noteを書くとか、続けるとか、色々な情報を色々な場で目にしてきたが、そのなかで頑張る自分を好きになれなかったので中断した。読まれる文章、伝搬されやすい情報、そういう枠組みの中で自分を鼓舞したり、人の目に怯えることがわたしの気質にはあってなかったのかもしれない。

しばらく自分にとって書くことが何かを考えていた。自分は過去に文学に救ってもらって大人になった人間であり、言葉の力を信奉している。でもそれは自分が文章を書く動機ではないし、例えば自分を切り売りするように文章を書くことは、いつか行き詰ってしまうことが分かって苦しかったように思う。

それでも書くということをやめられなかったので、細々色々なエッセイをあちこちに書き続けていた。人目に触れないところに蓄積し、後から自分で読み返して、自分を確認する作業を繰り返した。

ちょうど今年の初め、昨年移住した三浦半島の情報誌にエッセイを寄稿した。

その雑誌は、当時大学生だった女の子がひとりで企画して完成にこぎつけたもので、その過程で「けものさんに是非書いてほしい」と依頼されたものだった。

三浦半島に移住して感じたことを思うままに書いたエッセイは、とても好評だった。東京とか仕事とか人間が嫌になって半ば自暴自棄で移住した土地だったが、驚くほど誰もがわたしにやさしく接してくれた。そんなことをエッセイには書いている。

彼女の地道な取材と地元への優しい眼差しの結晶である『ILO』は、瞬く間に話題になり、自費出版にも関わらず、横須賀の書店にも並ぶまでとなった。彼女の努力を近くで見ていたわたしも本当に誇りに思ったし、なにより彼女が、わたしにエッセイを依頼してくれたことが心底嬉しかった。

手に取ってくれた人から、ぽつぽつと感想が届くたびに、自分が迷ってでも選び続けてきた道を信じることができた。本当に良かった。

彼女からは、また文章書かないんですか?とよく聞かれる。なかなか時間がなくてねとか、仕事がねとか苦笑いでやりすごしていたが、また少しずつ再開しようかなとも思い、ふらっとnoteに戻ってきた。

この感覚が何かを説明するのは難しい。ただ、エッセイ的な生き方によるものかもしれないな、とこの頃なんとなく感じつつある。その感覚とnoteが結局は相性が良かったのかもしれない。ざわついているけれど、一人でいても何も言われなさそうで。

エッセイ的精神について、以前哲学者の千葉雅也氏が詳しく話していたように思うが、あまり自信がない。ただただ、その通りだなと感じた記憶がある。
なんというかわたしにとっては、日常や生活はいつもエッセイ的だというのがしっくりくるかもしれない。内省と思考がとにかく延々と続く毎日を、なんとか安心して生きていたいと思っているだけだ。

ほんとうに、些細でも日常を生きていくことが戦いだという人に、いつかわたしの言葉がもしも、なぐさめになったら嬉しい。

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

いただいたサポートは、地に足を付けるための日々の糧に大切に使わせていただきます。