けもの

世界のうつくしさを信じてしまうよわいけもの https://twitter.com/k…

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世界のうつくしさを信じてしまうよわいけもの https://twitter.com/kemonoisthere/

最近の記事

やさしさに纏わるやりきれなさについて

これは2年ほど前に下書きにして、そのまま寝かせていた文章だ。読み返してみて少し眩しいけれど、それでもいまだにそうだよね、と自分に言ってあげたくなったので公開することにした。 やさしい人だねとか、やさしすぎるねとよく言われる。 傷付いた誰かを無視することが、自分が無視されているようで身を切られるように感じることがある。他者の中に知らない自分を見付けて、はっとすることがある。わたしにとっての他人が"幾分かのわたし"を含んでいる限り、人の悲しみが自分の悲しみのように伝播されてく

    • "やりたくないことをやらない"と決めるのが難しい

      大人になって社会に出て、それなりに仕事をしたり友人とお酒を飲んだりしていると、「なんでこの人はこんなに自分勝手なのか」みたいな気持ちになることは誰しもあると思う。 すべきでないことを平気でするとか、言うべきでないことを大きな声で言うとか、そういう人がとにかくわたしはずっと苦手で、恐ろしかったし、どこかで憤りを感じてもいた。 これを丁寧に解きほぐしていくと、そのうち「自分に対して課している禁止事項」が炙り出されてくるのだけれど、その自分への禁止が自分を追い詰めていると気付く

      • note再開にあたって、考えたこと

        久しぶりにnoteを書こうと思って編集画面を開いた。過去の投稿はすべて非公開にしたが、以前ここで書いていたのももう4年も前のことらしく、懐かしさと一緒にくらくらとした羞恥心を自覚した。 noteを書くとか、続けるとか、色々な情報を色々な場で目にしてきたが、そのなかで頑張る自分を好きになれなかったので中断した。読まれる文章、伝搬されやすい情報、そういう枠組みの中で自分を鼓舞したり、人の目に怯えることがわたしの気質にはあってなかったのかもしれない。 しばらく自分にとって書くこ

      やさしさに纏わるやりきれなさについて