うつで休職入りしてからの7days
初日は喪失感と罪悪感が入り乱れたような感覚だった。前夜に睡眠薬を飲んでからベッドに入った僕は、本来ならば会議が始まる時間に目を覚ましたのだった。
今頃あそこであんな話をしている
仕事を忘れることが大事と聞きながらも仕事について考えずにはいられなかった。それが休職初日の僕でした。時間が経っても会議のスケジュールが頭をよぎり、今は何をしている頃だという風に思考していました。
同じ思考がぐるぐると頭の中で巡り続け、ひたすらに時が過ぎていきました。他には何もする気にならず、しょっちゅう見ていたyoutubeのチャンネルさえ見ようと思わなかった。
休職2日目以降は少しずつ仕事のことは考えなくなっていった。ただ休むこと。この休み方を思い出そうとしていた。何をしていても喉を絞められているような感覚がありとても苦しかった。後になって知ったのはそれがストレス由来の症状だということだった。
うつ病でお仕事をお休みされている人ってどんな風に休んでいるのだろうか。それを調べているうちにたくさんのnoteの記事に出会いました。それを見て僕も自分なりの休み方を模索するようになり、いつか自分の記録が誰かの役にたてばいいなと思いこのnoteも書くようになりました。
それから、休職前から心配してくれていた親友と会いました。彼とはこれまでも色んな話をしていたが、いつにも増して色んなことを喋った日だった。そして自分で思っていたよりもうつ病との付き合いは長くなるだろうと悟ったのだった。絶望感もあったがある意味諦めにも似た爽快感のようなものもあった。ただ、今は休もう、それだけを親友と約束して別れた。
そして、実家の両親に今の状態を伝えた。
どんな反応をされるか正直分からなかったが電話で包み隠さず話し終えると黙って聞いてくれていた父が軽く笑い飛ばしながら「まぁ、とにかく仕事のことは忘れて休むんだな」と言ってくれた。だがやはり内心はとても心配だったらしく、翌日には一人暮らししている僕の家に父親はやってくることになった。
実家から僕の家までは車で2時間ほどの距離であった。帰ろうと思えばすぐに帰れる距離ではあったのだが、1人でいる時間を求めて実家に連絡しないでいたのだ。連絡したらきっとすぐに来るし帰ってくるように言われる、そう思っていた部分もあった。そしてその通りになった。
父はいつも通りの感じで僕のごみが散乱した家にやってきた。そしてそのごみをみんな片づけてくれた。ありがたかった。一通り片づけが終わり、一緒にコーヒーを飲んでいる時に切り出された。
このまま一緒に実家に帰るぞ。
元からそのつもりで来たようだった。僕としてはもう1週間ほど1人の時間を過ごしてから帰りたいと思っていた。でもそうはさせてくれなかった。僕の場合は『死にたい』という気持ちはなかったのだが、やはり周りからしたらそうは思えなかったのだろう。そのまま父の運転する車で実家に向かった。
これが僕の休職入りしてから過ごした7days。
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