病室の朗読会
※家族の闘病や人が亡くなる話がお辛い方は見ないことを推奨します※
深夜の病室で、朗読会をしました。
お客さんは、作品内で思いを馳せている相手の「父」ひとり。
その時にはもう、目覚めて言葉を交わすことはできない状態でしたが、
だからこそ 読むことができました。
父の前で朗読などしたことのなかった私。
まして、文章を書いて人様に台本を読んでいただいているなど欠片も知らせていません。
けれど、まだ父は生きている。
必死で呼吸をしている父に、
声が届くうちにと、勇気を振り絞って読みました。
私は普段、台本の内容やそれを書いた経緯などは話しません。
心情や五感で感じている私そのものに直結することもあるため、人目に触れてもらうには、勇気が足りないというのが主な理由です。
けれど、ふと思ったのです。
癌と戦う父を見つめ、共に暮らし、奇跡の連続だった日々の中で思いを綴ってきた私の言葉が
もしかしたら、似た境遇の方の心に寄り添うことができたりしないだろうか。
その方が文章を目にしたり声に出すことで、
少しでも凝り固まった心や、
日常を全うするために必死で蓋をしている感情を、ほどくことはできないだろうか。
そんなことを、おこがましくも思ったため
「闘病する家族を見守る視点で書いた台本」ということを公開してみることにしました。
病室での朗読会のリストはこちらです。
【短文朗読】それでも生きて https://note.com/makodaihon/n/n1fe4ba72a116
父は、弱音の一つも吐かない強いひとでした。
本当は、辛さを分かち合いたかったです。
【短文朗読】生きるを、送る。 https://note.com/makodaihon/n/n7bee7d0176bf
先生から余命宣告を受けて、あと何ができるかを提示された日に書きました。
その時の私の心を保つためには、文章を書くことと自分そのままでいられる自然の中に行くことだったので、滝を見に行き、この詩を書きました。
【詩】鎌倉から祈る https://note.com/makodaihon/n/n40cb57519fad
一度目の大きな手術を父が受ける頃には1000キロ離れた土地で暮らしていました。
当日は幸い傍にいられましたが、それまでは祈ることが精一杯でした。
【詩】ふれた てのひら【短文朗読】 https://note.com/makodaihon/n/n6421e1771776
病室で私にできることは、ふれて、声を掛けることだけですが
それが叶うことも、幸せなんだと噛み締めたことを記しました。
【短文朗読】無口な父 https://note.com/makodaihon/n/nf9a16befe71a
こちらは闘病とは関係なく私と父との関係性を短く書いたものです。
元は2年ほど前に投稿していて、たくさんの方がお声や思い出を乗せてくださいました。
一生懸命に家族と、病と、追いかけるような日常と向き合っている方へ
どうか、ひとときでも
心を緩められますように。
拙い私の言葉を、最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。
ミクロマコ
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