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『逡巡』


とある田舎の道沿いに

野菜の無人販売所があって


住む人はもちろん

少し先に温泉街があるから

観光客も土産のついでに

地物の野菜を求めて行くことがある


茄子がよく売れる


きゅうりも人気で


ある朝採れたての茄子ときゅうりを

並べようと思った店主の婆さんが

きのうまでの売れ残りの茄子を

鳥がつついているのに気づいた


こんなことはよくあって


きゅうりは猪に食われているし


小屋に差す朝日の影に隠れて

その唸り声を聞くまでは

人とは思わなかった


婆さんは小さな悲鳴を上げた


男は目を覚ますと

あぁ暑いと言い

傍らの茄子をひと齧りしては

ぺっと吐き出した


婆さんは男のことを

不審に思うべきかあるいは

哀れむべきかと逡巡して


そのどちらとも判断がつかず

早々に朝採れの野菜を棚に並べて

小屋をあとにした




あくる朝おそるおそる

婆さんがまた小屋へ向かうと

昨日と同じように男が

小屋の影に隠れて朝日…




男は鳥につつかれて骨抜きにされ

猪に食い散らかされていた


もはや原型は留めておらず


誰かに通報したものかあるいは

穴でも掘って供養したものかと

婆さんは逡巡するもやはり判断がつかず

なかば見て見ぬふりをして小屋をあとに




はてあの男の顔には

やはり覚えがある


茶をすすりながら記憶を巡らす


死んだ爺さんの妾の息子だ


いちどだけ写真を

見たくもないのに見せられた


記憶とは儚いようで執念深いもので

老いぼれの脳裡にこびりついていて


虫の知らせがして

おとついの朝から

売り物の茄子ときゅうりに

農薬をふりかけておいた




婆さんは明日の朝

無人販売所を焼き払うことに決めた












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