『書き綴ることは、いくらでもどうぞ。』
視覚と聴覚を奪われ、利き手を除いた身体は束縛。
そんな状態で狭い部屋に監禁される。
うっとおしい喉は前もって潰されて。
それで最低限の食事と排泄の世話だけが施され、睡眠は自由。
期間は定められていないようで。
唯一の自由は利き手だけ。
鉛筆を持たされて、紙を差し出されその感触を確かめる。
直接的に助けを乞う文句を除き、すべて自由意思で創作ができる。
一切の執筆の邪魔はされない。
ところが綴った言葉がどこへ届くか、知らされることはない。
報酬など、もちろん出ない。
そんなとき私たちは、何を書けるだろうか。
叫ぼうにも叫べない。
暴れようにも暴れられない。
外へは出られない。
眠ることはできる。
飯には困らない。
考えることは、じっくりしたらいい。
書き綴ることは、いくらでもどうぞ。
私を攫った連中は、どうやら私の綴る言語を解さない。
では連中の目的はなんだろうかと、皆思うだろう。
実はただ私が、こういう状況へ追い込んでくれと頼んだ次第。
創作に命を賭すとは、こういうことだと確信している。
だがそんなことは、実際の私にはとてもできない。
だから考えてみて、綴ってみている。
考えることは、じっくりしたらいい。
書き綴ることは、いくらでもどうぞ。