『昨日観た映画のタイトルを忘れた』
昨日観た映画のタイトルを忘れた
すでに酔いが回って帰宅して
その後だったこともあって
ストーリーも
とろんとした
ヨーロッパの薄暗いやつだった記憶
せいぜいその程度
二日酔いに負けず
顔を洗って
シャツを着て
ジャケットを羽織る
駅まではダッシュで40秒
ちょうどいい無酸素運動
でも今朝は頭痛だから走らない
そんな日が平日のうち三日はあるけど
隣の駅で急行に乗り換える
毎朝ほとんど同じ顔ぶれ
もちろん面識のないひとたち
背中に気配を感じる
振り返る
何もない
いや
ひとは歩いている
だけど
自分に注目など
誰もしていない
ところがまた
視線を感じる
何もない
そんな日が
平日も
休みの日も
週に五日はあって
会社に着いたら
それなりの仕事量が待ってる
昼までは
ほとんどノンストップ
ランチの時間が
15時くらいになることだって
めずらしくない
気配は強くなってくる
振り向く
同僚にどうしたのと問われる
だけど
何もない
わりと猛烈に働くので
どうしても残業をする
すっかりオフィスに一人
気配を感じる
もはや慣れっこだ
いちおう振り返る
何もない
帰宅する
今夜は飲みに行く誘いもなかった
たまには早く
とはいってもだいぶいい時間
ポストを覗く
チラシに紛れて
封書が一通
気配を感じる
振り返る
何もない
手紙の宛名は
まちがいなく自分
差出人は
身に覚えのない会社名
玄関前で
がさつに破って
封を切る
何かのセールスと思ったけど
やっぱりそうじゃなかった
雰囲気からして
異様な茶封筒
勢いで薬指を切った
血が少し滲む
手紙の中身を読もうとしたけど
鍵を開けて
手を洗って
絆創膏を貼りたい
ジャケットの袖が汚れた
腕時計にもこびりついて
急いでドアを開ける
気配がする
振り返る
何もない
ドアを閉める
血が床にこぼれないように
ハンカチで抑えながら
洗面台に向かう
鏡を覗く
昨日観た映画の主人公と
同じ顔になっている
などというわけがなく
たんに疲れて
眼の下にクマが出来た
みすぼらしい姿だった
消毒をして
絆創膏を巻いて
あらためて手紙を観る
血の滲みは出来たけど
社名を失念していた
転職先からの
採用通知だった
来月から
新しい会社へ
少し遠くなるし
給料も上がるから
この部屋は
引き払おうかな
駅からダッシュで
30秒がいい
昨日観た映画をもういちど
観てみようと思う
きっと記憶に残るだろうし
違った感想を
持つと思う
昨日観た映画をもういちど観た
まるで昨日と同じ
とろんとした感覚に陥った
主人公はまるで自分みたいに
のんべんだらりとした
退屈な生活を送り
映画のストーリーも
展開もまるでなくて
こんなものにカネを払って
誰が観るのだろうか
気配がする
振り返る
何もない